女性としてこの世に生を受けた瞬間から、幸せな花嫁になる、というテーマはわたしにつきまとってきた。それは親からの期待だったり、友達との会話だったり、恋人との未来だったり。
そこに抱く感情は形を変えながらも、「いつかだれかのお嫁さんになる自分」をどこかで意識しながら26年間を生きてきた。

一番身近な結婚のテンプレートは、誰にとっても親だと思う。理想の家族像や愛は、きっと幼少期からの自分の過ごしきた家族のあり方に影響されるだろう。
わたしにとっての、身近な夫婦の例は、決してだれもが羨むものではなかった。

夜中に母親のすすり泣く声 中学生の私が見てしまった父親の携帯には

それでも家族という形は、崩れることはなかった。小さいころはみんなで旅行に行ったし、お正月はそれぞれの実家に。2つ歳の離れた弟は反抗しながらも私の後をついてきていたし、親から与えられるものが足りないと思ったこともなかった。

いつからか、夜中に、1階から母親のすすり泣く声が聞こえるようになった。愛されない悲しみに狂った母を思うと、今でも情けなく身を切られるような思いになる。
中学生ながらに父の携帯のロックを解除し、知らない女の人とのツーショット写真を見て、寒々とした気持ちになった。

アメリカに来てまで父に泣かされる母を見て目眩がした 結婚って?

母は、兄と弟のために自分の進学を諦めて高校卒業後に就職。そこで出会った父と、結婚した。
家族のために大学進学を諦め、子供を産むために会社をやめ、その後ずっとパートで働く母の宝物はわたしと弟だという。
家族のために、自分の人生を諦めてきた彼女。
父が憎くて婚姻関係を解消したくても、生活を手放したくないからできないという。

社会人になり、家を出てから2年目の年末に母と海外旅行をしたとき、出発直前に父と揉めた母は夜な夜な声を出して泣いていた。
地獄のようだった。
家族というしがらみから逃れたくて家を出たわたしが、なぜアメリカまできて、血を分けた母親が同じく父親に泣かされる姿を見せられなければいけないのだろう。

目眩がした。婚姻とは、なんなのか。
わたしは父親を許せない。きっと一生経っても、ずっと。
母のように人生をだれかのせいにして、だれかの所有物になどなりたくないし、社会的な契約の元、愛を担保にして関係を続けていく自信もない。

ちがう。
わたしは父親が許せないのではなく、一生支え合うという契約を結んだのに、向き合って誠実にコミュニケーションがとれない両親を情けなく思っているのだろう。そんなDNAが自分にも受け継がれているのではないかと、ひとり不安になる。
家で待つ母を疎ましく思い、裏切った父親のような帰ってこない父を恨み、すべてを彼のせいにして嘆く母親のような。

だから、目の前にして、手放してしまった。
長年付き合った彼の愛をなのか、自分をなのか。信じられず、手放してしまった。

いくら冷めたふりをしても、1人で生きていくのは震えるほどこわい

いま、4年も付き合った彼との別れから1年が経とうとしている。
この未曾有の疫病の流行する世の中で、東京の狭いアパートに、ひとり、暮らしている。未だに会話もないまま一緒に暮らす両親がいる実家にも、帰る気はない。
まわりの友人や同僚は、次々に結婚や出産ラッシュを迎えている。赤の他人と、人生のどんな局面においても家族として支え合う契約を交わす勇気のある彼らを、羨ましいような見下したようなそんな気持ちになる。

ちがう。ほんとうは、1人で生きていくのがこわい。震えるほどこわい。
みんなは選択肢のひとつとして、誰かと生きることを選ぶのだろう。
わたしも、なにがあっても愛し愛される関係などないと冷めた振りをしつつ、何があっても味方でいてくれる家族を熱望している。

いまなら、すこし母の気持ちもわかる気がする。
彼女も、切望していたのだろう。愛される自分を。自分を犠牲にして誰かを愛せる彼女は、同じものを父に求めたのだろう。
そして、それに報いることのできない性質の父は、心で彼女に想いを持ちながらも、素直に向き合うことなく、伝えることもなかったのだろう。

結婚は努力で紡ぐもの 「いつかだれかに」なんておとぎ話じゃない

幼い頃から、「いつかだれかに愛され、幸せな花嫁になる自分」に憧れてきた。
26歳、春には27歳になるわたしは、いつか選択肢のひとつとして結婚を選ぶだろう。
結婚も家族も、そこにあってたどり着くものではなく、選びとって作り上げていくものなのだろうかと思う。

相手に誠実に向き合うこと、同時に自分の人生を妥協しないこと、相手に与えること、そして与えてもらうこと。

ただ、シンプルなことだ。おとぎ話のハッピーエンドでも、実行不可能なミッションでもない。私の母と父のように、もう取り返しがつかないと、目を背けてしまうものでもない。

結婚は、用意されたゴールなんかではない。きっと、自分とだれかの生きるための選択肢でしかなく、努力のなかで紡ぎ続けていくものなんだろう。