私は結婚という選択肢があることは、ひとつの救済措置であると考えています。こう思うようになったのは、母を亡くしてしばらくしてからでした。

学歴も貯金も身寄りもない私。どこかで常に緊張感を持っていました

私は学生時代に母を亡くしました。兄弟は今時珍しいくらい沢山いましたが、私が家族だと思っているのは母だけです。今は誰の連絡先も知りません。私が生まれてからは母子家庭だったので父とは話したことはありません。
なので、高校を辞め、アルバイトでもそれなりに暮らせる給料を貰ってからは一人暮らしをしていました。1人でいる心地良さはありましたが、学歴も貯金も身よりもない私は、心のどこかで常に緊張感を持っていました。働いて家を借りてご飯を食べる。この普通の生活すら、細いロープの上を恐る恐る渡っていくような感覚でした。少しでも風が吹けば、少しでも気を緩めれば足を滑らせて落ちていってしまうかもしれない。一度落ちれば、登ってくるのは多大な労力が要ります。いつか働けなくなったときの為に、公助についても何度か調べました。

それでも、運良く私のことを気にかけてくれる友達や健康な体のお陰で、人間らしい生活を維持することができました。音楽や本や映画にも何度も救われました。ただ、私のことを一番に理解し、寄り添っていてくれたのは母だったということは変わりませんでした。
友達がご両親に就職や恋愛の相談をしているとき、大学進学の援助をしてもらっている話を聞いたとき、喜ばしくも自分の母を思い出し、羨ましく思っていました。どんなに優しくしてもらっても、どこにいてもよそもののような感覚がありました。友達は当たり前ですが家があって、そこには親がいて兄弟がいて家族という組織に属しているけど、私にはそれがない。それをよく思い、虚しさを感じていました。

どんな家庭に生まれるかは選べない。選べる結婚に希望を抱くように

なんでもっと普通の家庭に産まれなかったんだろう、と何度か思ったことがあります。どんな家庭に生まれるかは自分では選べない、不可抗力の産物です。それを悔やんでもしょうがないですが、事あるごとにその考えがつきまといました。ただ、結婚は自分で選ぶことができます。結婚すれば何か違うんじゃないか、いつからか結婚に希望を抱くようになっていました。

それでも、働いたり友達と遊んだり恋愛をしていくうちに結婚について考える時間も減っていました。そんなときに妊娠し、付き合っていた人と結婚しました。瞬く間に環境が変わり、育児や転職、ご飯の支度をしている間に子供はよく話す子に、夫は何キロか肥えていました。

自分達で家庭を築いているという感覚は、大きな充実感になりました

自分が羨んでいた家庭を、今自分が築いていることに最近気付きました。お金が無いのは変わりませんし、この生活がなにかの拍子で無くなってしまうのではという恐怖も度々感じることはありますが、自分達で家庭を築いているという感覚は、大きな充実感を与えてくれています。

婚姻届に疑問を抱く人の声を聞いたことがあります。確かに、国に認められなくても両者で信頼関係を築けているならそれで良いと私も思います。ただ、私にとっては自ら選んだ人と結婚して、家庭を築く証を貰える制度の存在は、結婚してからはもちろん、遠巻きに家族団欒を羨んでいたころからも生きていくうえで大きな救いになっていました。結婚という制度があるということは、その人が本当に結婚するしないに関わらず、大きな意義があると思っています。

今は結婚という制度に当てはまらないパートナーシップがあることも知っています。あえて結婚しない、出来ない場合もあります。権利を使うかどうかは人それぞれですが、全ての人がその権利を得られるような制度になってほしいと思っています。それがまた誰かの救いになるんじゃないかと、家庭を羨んでいた自分を思い出しながら感じました。