小学5年生。
授業で"人生年表"というものを作った。
生まれてから今日までの事実と、今日から死ぬまでの想像。
忍者の巻物のような細長い紙に、一直線上に並べられた事実と想像。

1993年10月25日 午前3時 ××病院にて生まれる。
1996年 4月 4日 弟が生まれる。


2005年 ×月 現在に至る。

2006年 3月 ××小学校を卒業。

2009年 4月 △△高校に入学。
2012年 4月 どこかの大学に入学。

2016年 4月 どこかの会社に就職。

小学生までは体育以外は成績が良かったし、7歳の時に他界した父は小中学校の教諭だった。
しかし元来努力をしないわたしの成績は中学で一気に落ち、△△高校はわたしの実力圏外になった。
ひとつランク下の高校に入り、流れで進学した専門学校は1年で退学。
一度も正社員というものにならないまま"現在に至る"。

周りの目から自分を守るために書けなかった「結婚」

人生年表に書いたのに実現しなかった△△高校、大学進学、就職。
逆に、書かなかったのに実現したものもある。正しくは「書けなかった」。

それが"結婚"だった。

幼い頃から肥満体質で、顔も身体もまんまるどころかぱんぱんだった。小学4年生から体重は60kgを超えていた。
同じクラスの男子にばかにされもしたし、女子から当時流行ったぽっちゃり芸人みたいと笑われたこともある。担任の先生はわたしのお腹をぽよぽよ触った。(男の先生が女のわたしの腹を無意味に触るなど今では言語道断だが、当時はそんなこともなかったしそれほど触りたくなるぽんぽこりんだったのだろう)

小学生なりの結婚願望がなかったわけでもない。面倒見が良くて子供が大好きだったから、自分の子供をいつかは…という漠然とした気持ちはあったし、自分のことも嫌いではなかったけれども、やはり容姿への自覚はあった。

みんなの目に触れるところで「結婚できる未来」など口走れなかったのだ。『結婚できると思ってんだ?笑』と思われるのが恥ずかしくて。

だからあの巻物の中でわたしは、あえて結婚しなかった。
人生で唯一、わたしがわたしの為に退いた瞬間だった気がする。

母にとっての父の死がどんなものだったのか、理解したのはつい最近

しかし人生とはやはり想像通りにはいかないもので。
16歳になれば初めての彼氏が出来たし、18歳で今の旦那と出会ってお付き合いを始めて、8年の交際を経て26歳で結婚、のんびり妊娠を考えつつも二人の時間を楽しんでいます♪
…という教科書のような道を歩みながら 現在に至る。

7歳の時、父が急病死した。まだ33歳だった。
それはわたしにとってずっと「わたしに起こった可哀想な出来事」だった。結婚8年目に、4歳と7歳の子を遺して志半ばで死んだ父の遺恨も、急に遺された母の気持ちも、わかるはずもなかった。
母の感情を理解したのは、今の旦那に出会ったからだ。
結婚に至るよりまだ少し前のこと。なにがトリガーだったのか、自分が全信頼を置いて何年間もすべてを捧げた相手が消える恐怖、しんどさや痛み、みたいなものが突然わかった日があった。あの日の母の混乱も悲しみも戸惑いもやりきれなさも不安も。

それを理解できたことはわたしの中で大きかった。同時に吐くほど泣いて、あの日やっとわたしはおとなになれたのかもしれなかった。
それだけでもうわたしにとって結婚は価値があるものだったと思うのだ。

結婚は「わたし」を、そして「人との結びつき」を強くしてくれた

「結婚、どう思う?」

いま、酸いも甘いも同じものを共有して共感し合える、いちばんの親友のような存在が常に隣にいてくれることは、とにかくわたしにとって幸せで仕方ない。

わたしにとって結婚は、彼以外にも周りの人たちとの結びつきをより強め、また精神的に成長させてくれるものだった。
けれど、それがすべての人には当てはまらないということも理解している。おとなになれたから。

日本の時代遅れな結婚観にも物申したいけれど、文字数によりそれはまたの機会とさせて戴きます。

ご覧頂きありがとうございました。