畳に土足で上がり込んだ私が、身に付けた才能

「おいしそう~! 」
ほかほかのランチセット目掛けて土足で無邪気にお店の畳の上へと走りこんだ私。
「ダメダメー!」担任の先生が目を見開いて私に向かって走ってきた。
あたりを見渡すと周りの生徒たちも私の足元を見て唖然としていた。

14年間の海外生活から帰国したばかりの私は畳の上では靴を脱ぐ常識なんて知らなかった。
中学生の私は恥ずかしさと情けなさに押し潰された。
日本に精通する暗黙のルールが何一つわからない恐怖感で心が震えた。

鮮明に頭に刻まれた数秒の出来事。
その瞬間から私の世界が変わった。

透き通った目をキラキラ輝かせて向かった日本で初めての修学旅行。帰りは目がどんよりと生気を失っていた。

こうして私は『自分の行動は間違っていないか。誰かに迷惑をかけていないか。』という視点で世界を見るようになった。

他人の顔色を人一倍うかがうようになった

何をするにも周りの顔色を人一倍うかがうようになった。日本を包む暗黙のルールというヴェールに沿った行動をとれているのか、身の回りの人の表情を読みながら学んだ。まるで理科の実験でレンズをじっくり覗くように周りの表情を事細かに観察し始めた。ちょっとした眉毛の動きから動揺、目の曇りから悲しみ、唇の角度から不満が見えるようになった。

授業では先生の話が理解できず挙手をしようとしたそのとき、隣の男子がピクッと動くのが自分の手の背景にぼんやりと見えた。よく見ると瞳が驚いていた。自分の行動が日本のルールに反することを直ちに察して上がりかかっていた右手そっとおろした。質問は授業後に個別に聞くことにした。

人生で初めて部活動に参加した日も静かに観察をした。先輩と接するときは同級生の口元に緊張感があり口角がいつもよりは上がらない。背後からでも後輩の背中と首筋に緊張が見えた。背中からも表情が見えるようになっていた。海外では先輩とも友達のように接していたが、日本では先輩に対しては緊張の糸をゆるめない常識を学んだ。みんなにとっての当たり前が私にとっては驚きの連続だった。ひたすら、自分の目という持ち前の高性能レンズで観察し、学んだ。

「自分のためのレンズ」に変化が

大学では暗黙のルールの数々を以前より心得ている自分がいた。びくびく周りを警戒していた癖がポジティブなものに変わっていることを始めた。
ある日、いつも通りサークルメンバーと練習をしていたところ笑顔の裏に悲しみが見える同期が目に飛び込んできた。みんなの前ではムードメーカーでいつも笑顔だったが私には視線の低さ、曇った目そしていつもより内旋していた肩の悲しげなラインから心の叫びが見えた。ご飯に誘ったところすぐさまポロポロと泣き出したした。誰にも話せなかったことに気づいてくれてありがとう、と感謝されたことは忘れられない。
こうしていつしか身についた私の特別な感性により困ってる後輩や同期を助けられるようになっていた。
自分を守るためのレンズが周りを守るためのものになっていたことが嬉しかった。苦労が生んだレンズがいつしか幸せを生むレンズに変わっていた。

やがて、大学を卒業する季節がやってきた。
「あなたは人一倍相手の気持ちを理解してあげることが出来ている。あなたにしかない最高の才能だよ」
卒業の際に先生から言われた言葉。
幼い小さな私の苦悩が産んだ感性が大人になって才能とまで認められた。
卒業証書を持つ私は晴れやかな気持ちだった。

社会人になった今もこの幸せレンズは毎日動いている。私の特別な感性が周りに幸せを与えていることを誇りにこれからも堂々と生きていきます!