6年前に別れた彼と、先月結婚をした。
世帯主は女性のわたし、名字も彼に変更してもらった。

大事にしたい想いは一緒。しかし、すれ違いが増え、別れを選択

彼は、私より年上で、大学のサークルで出会った。
きちんと愛情や感情のやり取りをしたはじめての恋人だ。
何も特別なことでなく、ただ、一緒にいる時間や雰囲気がお互い好きだった。
活発で論理を好む私と、のんびりしていて感情を大事にする彼。
好きも得意も全然違ったけれど、大事にしたい想いはいつも一緒だった。

それが、狂い始めたのは、私の大学卒業前くらいから。
大学卒業と一緒に、結婚とか出産とか、そういう未来がどんどん近づいていく。
その頃、彼は大学院を卒業後、フリーランスをしている一方、私は大学院への進学が決まっていた。

彼の人柄は大好きだけど、正直、フリーランスで一般的な収入を得られるようには思えなかった。
かといって、会社に属する気もないらしい。
自分としては、彼のことを考えて、いろんなアドバイスをしたつもりだった。
彼も、私の気持ちは分かっていたと思う。
それでも、すれ違いが増えていき、一緒にいて心地良くなくなってしまった。
運命でも奇跡でもいいけど、私の相手って、本当にこの人なの?
そうして、別れを選んだ。

再会した彼と過ごす穏やかな時間。私が本当に望むことってなんだろう

環境的に男性と知り合う機会は多い。
男兄弟に囲まれて育ったから、
仲良くなるのも大変じゃない。
何人かの人と、複数回デートもした。
でも、自分から好きになれる人と出会うことはなかった。

その日はたまたま、彼の住む町のすぐ近くに来ていた。
気分が落ち込んでしょうがない日って、どうしてもある。
電車の窓から外を見て思い出す、彼と一緒にここを歩きたいと思っていたこと。

そんなこと何一つ言わないで、近くに来たからさって、当たり前のように電話したら、本当に来てくれた。
そうして過ごした時間は、昔と変わらず穏やかだった。

帰りながら考えた。
私が本当に望むことって、なんなんだろう。
仕事は絶対捨てられない。
そして、あの穏やかな時間。

「当たり前」の中だけで考えて、ずっとできない理由を探してた気がする。
男が稼いで女が家を守るのが「当たり前」だから、世間がそれを許さないから、彼とは一緒にいられない。
許さないのは世間じゃない。
世間の価値観に染まった私自身だ。
運命なんて、自分で決めたい。

あなたと一緒に生きていきたいから、できないで終わりにしない

それから、いつも一緒に考えてきた。
「私は、あなたと一緒に生きてきたいと思うんだけど、どうしたらそれができると思う?」
できない、で終わりじゃない。
どうしたらできるかを考えなきゃ意味がない。

私がお金を稼げばいい。
日本が無理なら海外に行けばいい。
この時期に結婚を決めたのは、私の海外での職が決まり、家族として彼のビザを取るため。
彼は家事が好きで得意だ。
フリーランスで、どこでも仕事ができるから、迷わず私といることを決めてくれた。

自分を縛り付ける「当たり前」は要らない。
私にとっての当たり前は、好きな人や物を自分で選ぶことだ。
そしてそれはもちろん、責任を伴う。
誰かが守ってくれるわけではない。
ただ、「当たり前」に従ったところで、それは変わらない。
だから私は自分で選んだものを信じる。
自信なんて、まだない。
それでも、この選択をした私たちは、これまでで1番カッコいいんじゃないかなんて、思い始めている。