結婚ってなんだろう。

小さい頃、『女の子は誰だってお姫様になりたいの!』みたいな言葉を目にするたびに思った、別にお姫様になりたくないのに。
私は普通じゃないのかな、ごめんなさいと言う気持ちも、逆にどこか誇らしい気持ちもあった。

大人になってもし結婚してなかったらラブラドールレトリバーを飼おう

「運命の人」というのもよくわからなかった。出会う人たちに、この人は運命の人、この人は運命の人じゃないってみんな分かるものなんだろうか?
運命の人だと思ったらやっぱり違ったって時はどうするんだろう?母に聞いたことがある。「この人が運命の人だ!って思って結婚して、実は2番目の運命の人でしたって後で分かって、1番目の運命の人が現れたらどうするの?」

学生の頃。何歳までには結婚したい?って聞かれたから、20代!って答えた。でも本当に結婚できるのかな?と思いながら。
みんなが当たり前のように結婚することを前提で将来の話をしているのが分からなかった。大人になってもし結婚してなかったらラブラドールレトリバーを飼おう。きっと幸せに暮らせる。

いつのまにか自分の中でも結婚が当たり前になっていた

結婚をするにあたって、何か人とは違うことをするのが気力と体力をめちゃくちゃ使うものだと感じた記憶がある。
もちろん望んで結婚したけれど、ネガティブな理由の一つが「結婚しないの?」と言われるのが嫌になってきた、ということである。

自分の名字は好きだったけどしょうがない。何かを押しのけてまで同じ名字を名乗り続ける体力もなかったので夫の姓にした。
ある友達とご飯食べにいった時、5年ほど付き合ってる彼氏がいるというので「いつ結婚するとかあるの?」と聞いてしまった。

「私結婚願望ないんだよね。彼のことは好きだけど、特に結婚したいとも思わない。子どもほしくないから結婚してもなあって感じだし、彼もそれを理解して付き合ってくれてるかんじ」
言わせてしまった……。たぶんこの子は、色んな人に同じことを聞かれてきたんだろう。そのたびに、なんで?とか言われながらも全く同じ説明をしてきたんだろう。恋人がいて、結婚したいと思うのには理由なんて聞かれなくて、結婚したくないのは理由が必要になってしまう。いつのまにか自分の中でも結婚が当たり前になっていたことに驚いた。

「運命の人なんていない、運命の人にするの」

自分はなにか人とは違う人間だとちょっと人より長い期間ずっと思い続けていたけど、なんてことはない平凡な人間だった。
結婚によって、「人とは違ったわたし」という感覚は薄くなって、たぶんこれからもどんどん薄まっていっていずれは消えてしまうかもしれない。でもいいんだこれで。
なんだかんだで結婚することにわくわくしていたし、いまもちゃっかり幸せを満喫している。

昔疑問に思った、運命の人と思ったら運命の人じゃなかった時はどうすればいいのと言う疑問はここ最近、答えをもらった。
『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマで、主人公みくりのお母さんが言っていた。
「運命の人なんていない、運命の人にするの」