誰かの言葉のトゲに気が付かないくらい、鈍感だったら良かったのになと思うことがある。
聞き流せるくらいの図太さがあれば、もっと楽だったのにな、と。
「あなたみたいなガラスのハートの持ち主じゃ無理よ。」その一言が私の心に突き刺さった
前職でイベントの企画をしていた時、社外にアドバイザーになってもらっている人がいた。業界の経験が豊富で、人脈も広いその人に、会社としてかなりお世話になっていた一方で、新入りの私はちょっとだけ怖い印象を持っていた。
ある日、社内で初めて、私が発案した企画が通ったことがある。嬉しい気持ちと、身の引き締まる思いを胸に、初めて企画の主担当として、その案を社外アドバイザーのところに持っていった。
緊張気味な私の説明を聞いた後、その人は表情一つ変えることなく、息をするかのようにさらりと言い放った。
「あなたみたいなガラスのハートの持ち主じゃ無理よ。」
冷たく跳ね返すようなその一言が、24歳だった私の心に突き刺さった。
突然飛んできた言葉の鋭さに動揺して、何も言い返せなかった私は、一緒にいた先輩が何とかフォローしてくれているのをただ黙って聞いていた。
しばらくショックだった。
何であんなこと言われたのだろうかと、必死になって考えた。普段から会議で堂々と発言できるタイプじゃないから、きっと消極的な子だと嫌われているのかもしれない。まだ半人前だと思われているのかもしれない。無理だと言われると本当に無理な気がして、どんどん弱気になっていった。
ゆっくりとお風呂に浸かっている時でさえ、頭から離れないあの一言が鮮明に思い出された。脳内でリピートされる不穏な言葉に、湯気に混じって涙が滲んだ。打たれ弱い自分を憎んだ。
会社の都合で、企画は急遽凍結。悔しさと安堵、なんとも言えない苦々しさが残った
それでも、企画は進んでいく。不安と戦いながら、上司の助けを借りて慎重にタスクを一つずつ終わらせていく度、私はきっと大丈夫だと無理やり自分に言い聞かせる。
そのうち、いつしか怒りが湧いてきた。
一体、あの人は私の何を知っているというのだろうかと。会社からの帰り道、駅までの坂道を蹴飛ばすように駆け上がり、電車のつり革を持つ手には力が入った。
そんな中、会社の都合でイベント規模を見直すことになり、進めていた企画は急遽、凍結せざるを得なくなった。既に決まったことだと社長から説明を受け、上司には謝られた。私には、もうどうすることも出来なかった。
私にも出来ると、あの人に証明できない悔しさが募る一方で、心のどこかで誰にも悟られないように、小さく安堵している自分もいて、つくづく私は弱虫なやつだと嫌気がさした。
企画は消滅したけれど、何とも言えない苦々しさが残った。
悔しさを自らの原動力に変えて。言葉をバネにして私は大きく一歩を踏み出した
それから、あの言葉を打ち消すように、凹んだプライドを修復するように、仕事にもっと前のめりになっていった。新しく読んだ本や、目にしたニュース、友人との会話の中にも、仕事のヒントを探すようになった。週末に出かけた先で、気がつくと仕事のことを考えていた。悔しさが原動力になって、こんなにも仕事に貪欲になれる自分に驚いた。
しばらくして、もっと広い世界を見ようと、背伸びして別の業界に転職した。
マーケティング分野の勉強を新しく始めたり、文章を書いて世の中に発信したりするようになった。どれも24歳の頃の私には、全く想像がつかなかったこと。
知らない世界に飛び込む時、新しいことを始める時、私に出来るのだろうかと怖くて足がすくむことがある。
だけど、その度にあの呪いのような言葉を思い出しては、反発するかのように、言葉をバネにして大きく一歩を踏み出してきた。
「あなたみたいなガラスのハートの持ち主じゃ無理よ。」
自分に向けられた言葉に、知らないフリが出来るような強さは私にはなかった。その代わり、胸に刺さった冷たい言葉をたっぷり嘆いたその後で、私は自分の手で引き抜いた。そして、自らの原動力に変えたんだ。
これから先も、何度だってそうやって、遠くまで飛んでいってやる。