私はアナログ時計がこわい。
針が示すのはもちろん時刻なのだけれど、どうしても数字と時の感覚が結び付かない。
何度も練習したのに、自信をもって時分を答えられたことは一度もない。
中学の修学旅行では班のタイムキーパーだったけれど、
1時間も早く宿に戻ったのは秒針を読み間違えたせいだなんて、口が裂けても言えなかった。
みんなはどうやって目的地に辿り着くのだろう。
私は地図の見方が分からない。
スマホ画面をくるくる回しても、進むべき道は見えてこない。
仕事で客先に訪問する時、一番緊張するのは目指す建物を見つけるまでの時間だ。
全般的に、度量衡の実感が掴めないような気がしている。
「度量衡」というのは、センチメートル、ミリリットルといった数値化できる尺度を意味する。
目につくものは何だって文字でも記号でも具体化したくなってしまうのに、
実際にその距離感を捉えることは難しいなんて矛盾している。
だけどそれこそ、私がものを書く理由だ。
できないことがあるから、それ以外の才能を活かせる
物心ついた頃には、気づけばいつも本を読んでいた。
大人になった今でも活字中毒から抜けきれず、暇さえあれば文字を追っている。
漫画も好きなのだけれど、シンプルに上から下に流れる図書の構図に愛着がある。
そして読むことと同じくらい、書くことが好きだ。
喋ることと違って丁寧に言葉を選ぶことができるし、見返してもっと適切な表現に書き換えることだってできる。研究テーマのある論文にしても、とりとめなく書き留める文章にしても。
何かしら抜けている人生だけれど、ある瞬間気付いてしまった。
できないことがあるから、できることがあるのだ。
その時、私は就活生だった。
大学院での研究に関連する業種だったから、志望動機は書ききれないくらい溢れた。
だけれどどうにもこうにも、自己アピールとなると筆が進まない。
コミュニケーション能力?粘り強さ?いや学生時代によく褒められたのは挨拶の声の大きさか。しかしそれでは就活レースを勝ち抜けそうもない。
池袋にあるファミレスの壁掛け時計は深夜2時を指す。面接まで残すところ7時間。
3時間は寝ないと頭が働かないから、支度と移動を含めて猶予はあと1時間。
絶対絶命のピンチの中、ふと純粋な疑問が浮かんだ。
私時計読めないのに、何で逆算できるんだろう。
ペンを使うのが私の強み
そこから先は迷いがなかった。
臨機応変な対応が苦手だから、計画を立てて行動する。話すことが下手だから、文字に起こしてまず整理する。それが私だ。特に不得意なことを洗い出せば、そこを補うための行動こそ私の長所だ。
そうして無事に希望の会社に就職し、かれこれ4年が経とうとしている。
傑出した才能なんてない。器量がいいわけでもない。
それでも私は未来を、自分を信じてものを書く。
そうやって生み出した言葉たちで、ほんの少しでも世界を明るくできればこっちのものだ。