中学時代、ブレザーの胸ポケットに忍ばせる胃腸薬が御守りだった。

「じゃあ指揮者の大久保さんから、明日の合唱コンクールに向けて一言」と、担任に促され席を立つ。ポケットの中、空になった胃腸薬の袋を右手で握り締めた。手汗が酷い。意識して深呼吸、それから自分を励ます「私なら大丈夫、私なら大丈夫……」と。

あがり症の私が教壇に立ったとき、クラスの雰囲気はあたたかかった

そんな心の声も破裂しそうな心拍音に掻き消される。教壇に上がると、39個の顔が私を見ていた。「ジャガイモだと思え」誰かが言った言葉を思い出す。「ジャガイモに思えるわけないだろ!」と心の中のツッコミも虚しく、私の頬はいつも通りりんご色に発光した。

しかし、私を包む拍手はあたたかい。「あああ明日はええっと、……」吃る上に、一文話すにも単語が迷子になって間が開く。この状況なら俯いて声が小さくなりそうだが、私は違う。そうなるのが怖いから、“攻撃は最大の防御”という言葉を胸に、一人一人の顔を見て、声は震えるけれど自分を鼓舞するように後ろまで通る声で話した。

あがり症の私は、肩の筋肉が硬直するのと同じ仕組みで口角が上がり、自然と笑顔になる。手振りも多くなった。昨晩思いついたギャグを挟むと大して面白くなくてもみんなが笑ってくれる。姿勢を直し「真剣に聞いているよ」と、目で伝えてくるクラスメイト。「ゆっくりでいいんだよ」とエールを送るように微笑みながら頷くクラスメイト。

頭は真っ白で、自分が何を話しているのかまるでわからない。それでもどうにか話し終わった。お辞儀をしてから席に戻るまでの道、お調子者の男子が「お疲れさん!ナイススピーチ!」とハイタッチを求めてくる。教室に充満する「このクラスあたたかいよね?」という空気感に胃がそっと押し潰された。

私の次に、教壇に立たされたのは林くんだった。林くんは担任の薦めという名の強制で実行委員を務めている。クラスの雰囲気がガラリと変わる。彼は、目を泳がせながら話し出す。バスより低く、ぼんやりとした声質。彼は滑舌が悪い。監視するかのように威喝的な態度を取る傾聴者。シャープペンシルの分解を始める者。居た堪れない表情で彼を見つめる者……。目立つ男子が数名、こそこそと会話を繰り広げる。「え、何言ってるか全然聞こえないんだけど(笑)」「茶化すなよ。またキレるぞ(笑)」案の定、林くんはキレた。瞬く間に体育会系の担任が林くんを取り押さえる。煽った彼らは「怖っ(笑)」乾いた笑いで澄ました顔をしていた。

おかしい。私は褒められて、林くんは揶揄された…その違いは何?

放課後、職員室の前で林くんが担任に怒られていた。
「どうして感情的になる。最近ズル休みばかりでクラスのみんなとも上手くいっていない林のために実行委員をやらせたのに。その期待を裏切って申し訳ないと思えないなんておかしいぞ」

その後、林くんはぴたりと学校に来なくなった。担任は、林くんを問題児として扱い、イケてる男子達に時たま「困った」と弱音を溢していた。自分のクラスに不登校がいることで、自分の評価が下がるのを恐れたのだ。彼らこそ林くんをキレさせた相手、林くんの居場所をなくす空気感を作り上げた張本人だというのに、彼らが叱られることはなかった。

私と林くんの違いは何だったのか。私達は、クラスで同率1位の聞くに堪えない話し下手だったのに。何故私は担任に褒められて、クラスメイトから優しくされるの? 一方、林くんは揶揄れて、学校に行けなくなる必要があったの?「私は望んで教壇に立ち、林くんは無理矢理立たされた」といっても過言ではない。

私は、根が目立ちたがり屋だから、人前に立つことを克服したくて努力した。努力といっても人前に立つ機会に挑戦して、小ネタを考え、鏡の前やお風呂で何度もイメージトレーニングをするくらいだが。

一方、林くんはきっと人前に立ちたくなかった。それは元の気質なのかもしれないし、滑舌を馬鹿にされたのがきっかけだったかもしれない。教壇に立つに至るバックグラウンドは違えど、林くんは私と同じかそれ以上に頑張ったはずだ。ただ私の方がたまたま頑張りが表に見え、受け入れやすかったのだ。

林くんの目に、私はどう映ったのだろう。林くんの気持ちを一番汲み取れるのは私のはずなのに、強い大衆にチヤホヤされていい顔をして卑怯な奴だと思ったはずだ。というより、そう思ってほしい。責められない方が苦しい。そういうところまで、私は弱い奴だ。

林くんは、立ち向かうことができる人だった。怒るべきときに怒れる、自分の尊厳を大事にできる人だ。手が出るのはいけないことだけれど、言葉で訴えたところで誰も聞き入れなかったのだ。担任さえ。

憧れじゃない。私が教壇に立つことで「犠牲者」が少しでも減ればいい

私は闘いたかった。いじめを助長している古い体育会系の担任と。間違いを正してもらえなかったいじめっ子だって、ある意味被害者のように見えた。担任は弱い人が大嫌い、強い者こそ正義、強者になるために必死に食らいついて大人になったのだ。

そして、何より力不足でこの状況を何一つ変えられない自分と闘いたかった。しかし、私は巨大な流れるプールで、1人逆走を試みるちっぽけな存在だ。人に影響を与え、伝染させ、流れを変えるようなカリスマ性はなく、溺れないよう自分を保つのに必死で誰にでもにこにこし、プールの水を抜く術もプールをぶっ壊す術も知り得なかった。

だから私は、彼と同じように流れるプールから出て、不登校になった。私にできる唯一の抵抗だった。私が不登校になると、担任はもちろん学校のほとんどの先生からの態度が急変した。先生へ、大人への不条理感が埋め込まれた瞬間だった。

この経験は、私が4月から先生になる理由の根底にある。あの人が先生をするくらいなら、私がやった方がまだマシ。先生への憧れでも何でもない。林くんに罪滅ぼしした気になって、少しでも自分が楽になりたいだけかもしれない。たとえ邪道だとしても、私が教壇に立つことで犠牲者が少しでも減ればいい。それが原動力だ。

「みんな違ってみんないいんだよ。強さの意味を履き違えないで」と、伝えられたら大万歳である。

春から私のスーツのポケットには、中学生のときと同じように御守りの胃腸薬が入っているかもしれない。だけど、あの頃と違う。悲しみも怒りも海みたいに深くてでっけー愛に変換して原動力にしてやる。私は先生になるんだ。