「おめでとうございます!元気な男の子です!」。荒い呼吸とぼやける視界。訳が分からなくなるくらいの痛み。息子の誕生に安堵しながら、口元を覆う不織布のマスクを心底邪魔だと思った。

数時間後、生まれたばかりの息子を柔らかく抱いた夫の肩には、病院の受付で貼られたであろう「入館許可証」のシールがついていた。限られた面会時間に写真をたくさん残しておこう、とiPhoneのシャッターボタンを連打したのを覚えている。カメラロールにはマスク姿の夫と私、息子の姿が並ぶ。

病室に一人、マスクの下に不安と痛みを抱えて過ごした

2020年8月、妊娠発覚時には予想もしていなかったコロナ禍の中、第一子を出産した。毎回の妊婦健診にも同行していた夫だが、途中から妊婦本人以外は入館できなくなった。立ち会い出産も希望していたが、もちろん中止になった。
出産予定日を2日後に控え、破水した。そのまま入院することになった。病院の入り口まで荷物を持って送ってくれた夫。本当は抱きつきたかった。不安で仕方なかった。甘えてしまうと涙が出そうだった。泣いたところで誰が代われる?堪えて笑顔でハイタッチをした。

それから2日間、病室に一人、マスクの下に不安と痛みを抱えて過ごすことになる。「このままだと赤ちゃんが苦しいらしい」、「あと何時間待っても進まなかったら薬を打つらしい」、「帝王切開になるかも?」。拙い知識で、先生や看護師さんの言葉を反芻する。何より一人きりで痛みを耐える時間は精神力を奪った。余力があるうちは、その都度LINEを開き現状を連絡した。実母には気丈に伝えられるのに、夫には言葉を紡ぐ度に涙目になる。自分の弱さに気づく。「苦しいだろうけど外さないように」と釘をさされたマスクが湿気を帯びた。

夫は小中高の同級生。「この人と結婚したいな」

弟と妹が2人。3人兄弟の長女として生きてきた。かわいい弟妹のお世話はとても楽しく幸せだったし、彼らのことは今でも大好きだ。ただ、物心ついたときには、父母への甘え方が分からなかった。辛い時、悲しい時、自分の感情との向き合い方が分からず、苦悩した思春期もあった。

夫は小中高の同級生。ずっと気になっていたクラスメイトに、成人式で再会して思いきって声をかけた。お互いそれほどモテるわけでもない。私の20歳の誕生日から付き合い始めた。お互いに初めての相手だった。優しく、懐の深い夫には、素直に甘えることができた。不器用で照れ屋な夫はとても可愛らしく思えた。「この人と結婚したいな」。願いは叶い、5年の交際期間を経て令和元年に婚姻届を提出する。

好きな人の名字になり母になり、今がとても幸せだけど

「お母さんになること」。どんなキラキラした職業よりそれが一番の夢だった。好きな人の名字になることに憧れていた。大学卒業後は総合職に就いたが、不規則な勤務体系が理想的な家庭像の実現とはかけ離れていて退職した。今は無職で家事と育児に励む。

このような在り方は、最近の論調とは逆行している自覚はある。現に、結婚している友人は少なく、たまに会うと仕事でのステップアップを嬉しそうに報告してくれる。「育児が一段落するまで無職でいる予定だよ」と何となく言いづらい雰囲気もある。だが、幸せなのだ。あまり大声で言えない気がするが。
ただいまと帰ってくる夫。寝てしまった息子の頬に静かにキスをする夫。好きな人の名字になれた私(もちろん旧姓にも愛着はある)。母になれた私。健やかに育っていく息子。今がとても幸せだし、これからのことがとても楽しみに思える。

古い在り方?新しい価値観?それぞれの生き方が尊いはずである。だがこの小さな後ろめたさをどう表現したものか。微かに残る違和感は、お産の時のマスクみたいだなと思う。