赤ちゃんがほしい――。
 多くの女性がその思いを抱くだろう。しかし、小学生だった時の私は違った。出産の痛みが嫌だからという理由からママになりたくなかった。それを聞いた同級生たちに、赤ちゃんはかわいいと言われ、その場にいづらいと感じた。それもそのはずで、もうすぐ弟妹が産まれる同級生もその会話に加わっていたからだ。

無痛分娩が頭から離れることはなかったけれど

 その会話を交わしてから約二十年の月日が流れた。私は愛する夫と結婚し、ほどなくして娘を妊娠した。YouTubeで出産に関する動画を見る中で、無痛分娩に出会った。病院により方法は異なるが、多くは局部麻酔で陣痛コントロールし出産するものだ。痛みに弱い私は、これなら出産できると思った。しかも、私には持病があり、場合によっては無痛分娩の可能性があって余計興味深く感じた。
 早速、持病の主治医に相談すると、産科担当医に相談することをススメられた。私の体が自然分娩に持ちこたえられると主治医は判断したからだろう。

 そんなある日、夫が、出産方法でママ友のグループが分かれてしまうという話を聞きつけてきた。自然分娩なら陣痛の痛さでママたちが共感し合い、他の出産方法でも同じ経験をしたということで共感するという。夫が心配していたのは、無痛分娩のママ友グループに入ってしまえば、他のグループに入れなくなることだった。真偽のほどは育児中の現在も定かではないが、私は素直に自然分娩を選択することにした。

 それでも、無痛分娩が頭から離れることはなかった。コロナ禍で両親学級がオンラインで開催され、希望する妊婦限定と思われた無痛分娩学級の動画も配信されていた。出産や新生児育児の解説動画を見るついでに、無痛分娩の解説動画も見てみた。どうやら脊椎から麻酔薬を注入するらしく、注入前の処置で痛みを感じなければならないのか、と思ってしまった。

娘が生まれると、湧き上がる感動で陣痛の痛みは嘘みたいに吹っ飛んだ

 三十九週の妊婦健診から二日後、出産の日を迎えた。定時に上がらせてもらった夫に病院まで送ってもらった。新型コロナウイルス対策のため、分娩室のある病棟の入口で夫と別れ、私は助産師に迎えられながら病棟の中に入った。
 分娩室に通されてからは、べそをかくだけの私に、助産師は腰をさすったりお尻を押さえたりしてくれた。途中陣痛が増強せず、陣痛促進剤の点滴を受けながらも苦闘を繰り広げた。

 入院から七時間後、すでに日付が変わってから、娘が元気な産声を上げた。湧き上がる感動で胸がいっぱいになった。陣痛の痛みは嘘みたいに吹っ飛び、娘に言葉のシャワーを浴びせてしまうくらいだった。

どの出産方法であろうが、誕生の喜びに差はないと思う

 今にして思うと、陣痛の痛み以上の感動を味わってほしくて、「腹を痛める」ことをススメる出産経験者が多いのかもしれない。痛みに弱い私としては、どの出産方法であろうが、誕生の喜びに差はないと思う。ママも赤ちゃんも命がけで対面を果たそうとしていることに変わりはないからだ。

 そんな私だが、二人目の出産方法にどれを選ぶかは、娘がお姉ちゃんになりたいと言い出す日までじっくりと考えていたい。痛みを感じにくい出産も経験してみたいし、陣痛が吹っ飛ぶほどの感動を再び味わうのも捨てがたい。痛いだけが出産じゃない、とあの頃の私に教えたいのだけは確かだ。