「自分を大切に扱う、愛する」。
それが、私の人生の、もっとも大切な価値観だ。

人生で最初に挫折をしたのは、大学生の時だ。
私は昔、そこそこ名の知れた美術大学に通っていた。小さい公募ながら受賞歴もあって、自分の才能を疑っていなかった。プロになりたかった。一生をかけて、この夢をかなえてみせると意気込んでいた。
でも四年生のとき、私はある日を境にスランプに陥って、突然、何も作ることができなくなった。

きっかけは単純だ。
それまで、当たり前のように進んでいた選考に、初めて一次選考で落ちたのだ。
「え?」と声にならない声が出て、頭が真っ白になってーーその日から、なにもかけなくなった。

「今回も惜しいところまでいったんですけど」
そう言葉をもらえるのが当たり前だったのに、なんの連絡もなく、品評もされず、わたしの作品がその他大勢の作品と一緒に切り捨てられた。
初めてのことだった。いまおもえばずいぶん驕ったものだとおもうけど、当時の私には厳しい現実だった。

10代のとき、言われた言葉を思い出した。
「あなたの作品いいですよ、粗削りですけどね、若さもポイントですから」
そういうふうに、私は評価されていた。20歳をこえて、わたしの才能に、年齢が追い付いたのだと知った。

その瞬間、見えていたはずの道が真っ黒く塗りつぶされた。筆をとっては「面白くないんじゃないか」「地味なんじゃないか」。
かいては消し、かいては消し。もうなにもかくことができなくなった。そしてその日を境に、私は、私ではなくなった。


嫌な先輩の「あいつは駄目な奴だ」  仕事から逃げて自分を責めた

大学を卒業して、今度は企業で営業の仕事に就いた。そこでも努力はしたし、相応の評価もされたけれど、見えてきた会社の嫌な部分や、尋常ではない業務量に耐えかねて、三年で退職した。やめるとき、嫌な先輩に「あいつは駄目な奴だ」と陰口をたたかれた。悔しくて帰り道泣いて、言い返せなかった自分にも腹を立てた。

逃げたつもりじゃなかった。でも、どこかで自分が、逃げ癖のある、どうしようもない生き物に感じられた。
先輩の言葉に腹が立ったのに、自分も同じような目で、「私」を見ている。そのことに、腹が立って仕方なかった。

その後も転職して、きちんと働いているのに、「芸術からも仕事からも逃げた私」が、まるで他人の顔をして、「どうしようもない奴だ」と私自身を責めていた。悔しかった。自分に、失望した。
あの日まで、確かに自分は才能があった。自分は特別な存在だと思って生きてきたのに、もう、そうじゃない。

それからずっと、私は私が大嫌いだった。
私は私をいじめるようになった。何をしても中途半端で、何もしない方がましだと、自分の心をあざけった。私は自分を馬鹿にすることで、失敗の先回りをすることで、自分の心を守った気になっていた。

母が名前に込めた「道」 諦めかけた私を思い留めてくれた


そんなある日、ふと、ある書類に書いた、自分の名前が目に入った。
私の名前には「道」という意味の字が入っている。それは、母が「自分の道をしっかり歩くように」と思いを込めてつけてくれた名前だ。

その字を見ていたら、本当に突然、悲しい気持ちにおそわれた。
私の名前が、私の名前に思えなかった。まるで別人の、自分が嫌いな人の名前を見ているような気持ちになった。それが、すごく怖かった。

自分を馬鹿にしていたら、自分が「私」では、なくなってしまったのだ。
私の道は、私にしかない。私の道は、私しか選ぶことができない。私を一番理解し、愛せる人間は私しかいない。なのに、私は自分を他人のように扱っている。私は自分の人生の小さな躓きで、しゃがみ込んで、勝手に人生を諦めようとしている。

その日、私は「生まれ変わる」ことを決意した。弱い自分を、認めることにした。
私は挫けた。負けたのだ。特別な人間じゃない。でも、私には「私」がいる。私が「私」を、守り抜いて見せる。


特別な人間だと思っていた 自分の弱さを認めて筆をとる

私はその日から、「私」に問いかけるようになった。「ねえ、あなたは何が好き?」「どんな性格?」「どんな人生を、過ごしたい?」。
私は「私」と熱心に向き合って、コンプレックスを解消し、自信が持てるように寄り添って、頑張ることにした。

私は昔、自分は特別だと思っていた。才能があって、誰よりもすごくて、絶対に負けないと思っていた。でも、私が向き合う私は違う。弱くて、つらいことが苦手なのだ。だから、私が私を大切にして守ってあげなくちゃいけない。立ち上がるべき時は、支えになってあげないといけない。

そして私は今、もう一度筆をとっている。それは私が、「かきたい」というからだ。私はどうやら「かくこと」が、本当に好きらしい。
評価されることが、目的ではなかった。好きだから、かいていたのに。そのことに、「私」が気付かせてくれた。

「自分を大切に扱う、愛する」。それが私の、最も大切な価値観だ。
私はこの価値観と、そして、私自身と、これからの長い人生を生きていく。
きっといい人生になると信じて。