「あんた男見る目ないね」
占いに行って、見ず知らずの占い師に言われぐさりと私の胸に刺さった言葉。鋭く尖った言葉のナイフは私の心をえぐり、同時に見て見ぬふりをしてきた現実へ一気に引きずり込んだ。泣きそうになった。いや、実際にそう言われて泣いた。私の人格すら否定されたような気がした。

延々と聞かされる愚痴を、使命感から受け止めていた

私の元彼はいわゆる『メンヘラ男』だった。けれど、付き合ってみる前の彼の印象は普通の好青年で、面白いくらい趣味も合う。この人は私の運命の人だと勝手に舞い上がりさえした。恐ろしいくらい意気投合し、出会って一ヶ月くらいで付き合うことになるのだが、付き合う中で「なんかおかしいな」と首をかしげることが何度もあった。

例えば、平日でも毎日のように電話がかかってきて延々と仕事の愚痴を聞かされる。その間、自分のやりたいこともできず徹底的に聞き役になるしかなかったのだが、当時の私は「彼の気持ちが楽になるなら受け入れてあげなきゃ」という謎の使命感に駆られていた。
恋は盲目。まさに好きという感情がその悪い部分を意図的にカモフラージュし見て見ぬふりしてしまう。そして、周りに「やめといたほうがいいんじゃない」と言われてもなお付き合い続けるという悪循環に陥った。

とはいえ、私は無意識のうちにネットで何度もメンヘラ男の特徴について調べていた。メンヘラと呼ばれるその特徴に彼があてはまらないか、とにかく必死でネットサーフィンしまくっていたのが今となっては微笑ましい。
ちなみに出した結論は「特徴に全部あてはまるわけじゃないから彼はメンヘラじゃない!」である。あのころの私に言いたい。「何個かあてはまっている時点でそいつはメンヘラだ」と。ようやく目が覚めたのは別れた後だった。

別に男を見る目がなくたって生きていけるのだ

そうして話は最初に戻る。上記のことがあったのでやっぱり男の見る目がなかったのか、と落ち込みしばらくの間立ち直れなかった。何をしても「どうせ私は男を見る目がないし」というその言葉は呪いのように私をがんじがらめに縛った。

どうしようもなくなって私はいろんな人に相談した。「そんなこと気にしなくても大丈夫だよ」と優しい言葉をかけてくれたが、私はなかなか立ち直れなかった。
そんなとき一人の親友に相談した。するとその子は「うちも男見る目ないよ」と、あっけらかんと言った。その子もこれまで付き合った彼氏が『クズ男』だと言いきった上でその子は淡々と言葉を続けた。
「そもそもうちは顔しか見てないし、男を見る目がないのは仕方ないよね。前の彼氏も顔だけはよかったし」
親友がさらっとその事実を受け入れている姿勢に、ずっと気にしていた自分がとても馬鹿らしく思えた。そうか、別に男を見る目がなくたって生きていけるのだ。

「私が好きになる男はみんなクズ!」と自分を笑えるぐらいになった

その日を境に男の見る目がない部分も自分の個性なのかもしれないと思え、色々と遅すぎたが、ようやくいろんな人からの「気にしなくても大丈夫だよ」という言葉を理解することができた。
男の見る目がないからそれを改善しようではなく、それを個性にしようという発想の逆転は私自身を楽にさせた。そして、受け入れることができるようになった。
「私が好きになる男はみーんなクズ!」と完全に開き直りときにはそれすらを楽しんだ。

テレビを見ていて好きな俳優が出演していれば「この俳優タイプ。でも、私が好きになるってことはこの人相当クズかもしれない」とか、「ああ、顔がタイプだから絶対クズ男だ」といった具合に自らを『クズ発見器』として笑えるくらいまでになった。

親友は何気なく言ったことだと思うけど、私の中に大きな変革をもたらせた。自分の悪い部分を完全に直そうと踏ん張るのはちょっことしんどい。そんなときは肩の力を抜いて悪い部分もほんの少し受け入れながら生きていけばいい。不完全なのが人らしくていいのかなって思ったりする。