35年ローンを組んだ新居への引っ越しが来月に迫っている。いま、29歳。
結婚して、今年で3年目になる。

“結婚”というワードを薄らぼんやり意識したのはまだ女子高生だったころ。当時お付き合いしていた恋人に「いつか、結婚しようね」と言われたときだった。
――“いつか”のいま、そのひとが何をしているかはわからないけれど。

寂しがりで、相手に求める基準がものすごく緩やかなわたしはずっと、恋人が途切れることがなかった。常に誰かといたくて、ひとりが嫌だった。
その一方で、他人と生活を共にすることが基本となる“結婚”については、底知れない不安があった。恋人といるとき、友人といるとき、私は“相手が望むわたし”を演じる癖があった。ごく自然に、求められていることをしてしまう。普段はそれが楽だったけれど、24時間365日全力の自分で居続けることは、たぶん無理。疲れちゃう。週末婚だとか、通い婚とか、結婚するならそんな制度が向いてるかな―…なんて、将来をぼんやり考えていた。

「1年後に結婚しよう」と期限を設けて交際スタート

夫と出会ったのは社会人3年目。転職先で出会い、なんだか気が合う気がするな、と思っていた矢先に告白された。当時25歳。マッチングアプリに登録すれば、すぐさま「いいね」も集まった年ごろ。正直、めちゃくちゃ結婚に焦っていたわけじゃない。

でも、“職場恋愛”になることと、“わたしの市場価値”を試算したら、「これから彼と付き合うなら、結婚前提でないと駄目じゃないか?」と思った。ストレートに彼にもそう伝え、「1年後に結婚しよう」と期限を設けて交際スタート。

打算的であったかもしれないが、これはすごく有効だったと今でも思う。目標、一次ゴールがあるお付き合いには希望があった。それまで何となく2年ほど付き合っては別れて―…を繰り返していたけれど、彼とは“この一年で生活の相性をみる”という目的があった。

料理はするか、トイレは座るか、バスタオルは毎日洗うか、ひとから“指摘”を受けた時の解釈、日常の癖など、すべて“永く一緒にいて居心地がよい相手なのか”を考えながら過ごすことができた。

結婚するのは自分。「この人じゃないな」って後々思いたくない

他人がみたら、「試しているみたい―…」と思われるかもしれない。でも、それって駄目なの?と思っていた。結婚するのはほかの誰でもない自分。「この人じゃないな」って、後々思いたくない。自分が選んで、選ばれる。私の思う「結婚」という儀式に責任をもちたかった。


もちろん、全部がぜんぶ「完璧」なわけじゃない。それは、彼にとっての私もきっとそう。ただ、お互いの生活が許容できるのかをみるのには、1年間の交際はちょうどよかったと思う。

お互いの生活を許しあえる彼と過ごす日々のなかで、自分のなかでびっくりしたことがある。それが“相手が望むわたし”を“していない”ことだった。
それは、彼が夫になった今も変わらず。

“わたしは”結婚してよかったと、いま心底思う

「結婚、どう思う?」という特集テーマをみて、しばし悩む。
某結婚情報誌のコピー『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです』が話題になるくらい、今や結婚は名実ともに「自由意志」だ。

我が家は夫婦で給料に差もないし、家事も完全にはんぶんこ。正直、生活は一人でだって余裕で出来る。

でも、夫といる毎日はとても楽しくて、安心する。
疲れて帰ってきた顔をみれば心配だし、美味しいごはんをつくってあげたくなる。嫌な上司の話を聞けば、一緒に怒ってあげたくなる。なんでも一緒にやりたくなるし、じゃれて甘えたりしたくなる。

「結婚」がイコール幸せではないのだろうけど、“わたしは”結婚してよかったと、いま心底思う。24時間365日、わたしのままでいられる相手とあえたから。

いま、結婚するか迷っているひとがいるなら、相手との“すごくリアルな生活”を考えてみてほしい。そこにいるのが幸せ顔な自分なら、「結婚、しちゃえ!」って、背中を押したいな。