結婚したい相手なんていない。結婚が何かを運んできてくれるとも思わない。ただ、誰かとの幸せは諦めたくない。子どもも産んで育てたいし、人生のパートナーと一緒に支え合える生活を続けたい。
そんな願いの先に、ただ「結婚」があっただけ。
お互いの気持ちを確認することがひとつのゴールだった
人生のパートナーになった彼と付き合ったのは、いつだっけ。記念日なんて覚える性じゃないけれど、記念日を記憶していないのはそれが理由じゃない。
「付き合う」なんて、とっても曖昧でハッキリしない口約束。高校の時の同級生には、付き合った人と手を繋いで帰るだけだった人もいたし、毎週末デートをしてキスをして、セックスまでのフルコース楽しんでいる人もいた。
私が初めて付き合ったのは、高校3年生の時。小学生の時からずーっと片想いしていた相手への想いがフッとどこかへ消えていった数ヶ月後、全くタイプの違う人を魅力的に感じ、お互いの気持ちを確認したことを覚えている。
使い始めたLINEの文字越しに緊張感が伝わってきて、画面を見ながらニヤけてしまったこともいまでは懐かしい。確かあの時、「好き」を伝えられたことに舞い上がってすぐに電話をかけ、「直接言ってよ!」と肉食女子感を出してしまった。
あの時は気持ちを確認することがひとつのゴールで、それができた二人は晴れてカップルとなり、一人では入れないどこか幸せな世界に行けるパスポートをもらえた気分だった。
入籍して、離婚して、同じ人と入籍した
そもそもふたりの関係を証明するものなんてないのに、みんな付き合って別れる話が大好物。毎日のように交際速報が蔓延していたのは学生ならではのことで、たぶん勉強や部活から少し離れたゴシップで気を紛らすためかと思っていたけれど、社会人になればそれは「結婚」に代わるだけだった。
「旦那さんと付き合いはじめたのっていつ?」友達に聞かれても答えるのが難しいのは、初めてお互いの恋愛観を話した日、会いたくて夜中のドライブをした日、素直に「触れたい」と伝えた日、どの日も付き合いのはじまりな気がするから。
わざわざ言葉で区切らなかったのが、今ではしっくりきている。
この曖昧な関係性を表す言葉は、「結婚」も同じ。
入籍して、離婚して、(同じ人と)入籍した私のことを、市役所で手続きしてくれたおばちゃんは「もうバツつけないようにしっかりね」と笑顔で言っていた。なんでこんなにも離婚を悲観的に見ちゃうのか分からなくて、変な顔の笑い方をしてしまった。
結婚は、入退会自由のサブスクコミュニティみたいに使うのが賢い
私たちは結婚する前も後も、離婚して再婚した時も、ずっと人生のパートナー。関係性は「結婚」に左右されずに、日々移り変わるお互いの気持ちや思考の変容にあわせて動いている。
だから結婚してるから恋愛しないなんてこともないし、別の人とセックスする時は性感染症と避妊に気をつける。結婚している状態で恋愛するのに「不倫」の呪縛があるならためらわずに「離婚」を選ぶ。彼との関係は何ひとつ変わらず、住む家も一緒だし、お財布も繋がっている。再婚の理由になるのは二人の子どもを授かることくらいで、制度を活用したいから籍は入れようという話。活かせる時に活用する、入退会自由のサブスクコミュニティみたいに使うのが賢いのかも。
子どもが何人いても、私たちの関係性は「結婚」かどうかに関係なく深化するはず。そして、この関係性を現す言葉は結局いつまでも曖昧であるんだろうなと思う。「結婚、どう思う?」の答えをしっくりくる言葉で話すのは今後もやっぱり難しそう。だって、私にとっては結婚自体にそれほど意味が無いんだから。