黒く苦い液体、コーヒー。
生きてきて29年間、この存在が自分の人生を虹色に変えてくれた。
小学生の時も、中学生の時も、一生懸命勉強し、クラスで一番にならなければならないと思ってた。高校生で、頑張っても頑張っても自分より頭の良い人たちがいて、自分はいつだって一番になれなかった。周りのキラキラしている人たちが眩しく、いつしか学校に通うのも億劫に、また年頃だったせいもあり、容姿を過度に気にし摂食障害にもなった。
「私は一体何者だ。」そうして私は、コーヒーにたどり着いた
「私は一体何者だ。」
それでも、小さい頃から「いつか貧しい国の人たちのためになることがしたい」という想いを持ち続け、大学の4年間は自分を模索し続けた。何度も途上国と呼ばれる国々に足を運んだ。ボランティアもした。
それでも見えない、自分が一体何者で、どんな専門性を持って彼らに関わって行けば良いのか。
そうしてたどり着いたのが、コーヒーだった。
何気なく始めたカフェでのアルバイト。世界地図を見てコーヒーの勉強をした。そうすると、生産地は今まで私が興味を持ってきた国々であるということに気がついた。
はじめて足を運んだ生産地、キリマンジャロ。怖いもの知らずで、飛行機に乗り込み、どうしたらコーヒー農園に辿り着けるか、現地の人に聞いて探した。ツアーで参加した農園で、コーヒーの木と赤いコーヒーチェリーを見た感動は今でも忘れない。
大学の卒業旅行。
友人たちはみんなでヨーロッパに行ったけれど、私はコーヒーの生産地がみたいと思って、一人、中米グアテマラの生産地に飛び立った。
いつだって、偶然の出会いが幸運を呼ぶ。コーヒーを軸にいろんな人から聞き込みをし、産地を回った。現地でカフェを営むアメリカ人と出会った。彼は、自分で農園から豆を買い付け焙煎し、その地域の人たちや観光客、そこに住む外国人、どんな人でもコーヒーを通して集える空間を創っていた。
彼は一言、「コーヒーは五感で感じるんだよ。飲むだけじゃない、目で見て耳で聞いて、触って、香りを嗅いで味わう。そしたらそのコーヒーの個性がわかる」と。当時の私にはなんのことかさっぱり分からなかったけれど、一杯のコーヒーが語学の壁を越えてでも人と人をつなぎ合わせる力を持っているとさえ感じた。
ルワンダの農園で、コーヒーと飲んだことのない生産者と一緒にコーヒーを飲んだ
そして、産地を見るだけでは満足いかなくなった私は、長期間現場に住みたいと思う様になり、ルワンダで2年間コーヒーの活動を行うことにした。
そこでは、家族で農園を営む人たち、子供たちはいつも目をキラキラさせていた。「助けたい」なんておこがましく、彼らには彼らの考え、価値観があった。
その中で、環境をより良くするために一緒に何ができるかを考え抜き、活動を続けた。コーヒーを飲んだことのない生産者が多かった。自分たちが栽培している一緒にコーヒーを飲んだ。みんな「苦いから砂糖を入れたい」という。それもそれでありだなと思った。
コーヒーとコーヒーを通して見る虹色の世界を、たくさんの人たちに届けていきたい
周りと比べてしまっていた昔、私の軸は私にはなかった。
そう気づかせてくれたのは「コーヒーとコーヒーを通して見る世界」だった。ただ黒くて苦い液体ではなく、産地や精製、保管、焙煎、抽出、色んな要素が関わって、そのコーヒーはその風味になる。
それぞれの特性が活きたそれぞれのフレーバーがあるということを知った。それは、再現性の伴わないものであるということ、去年とれたものは、去年その生産者が一生懸命作りあげたから出来た味、それを今年作ろうと思っても不可能だということ。多くの人が携わっていること、感謝の気持ちを持てるもの、そして人に喜びを与えることのできるもの。
そして何より、自分は自分として生きて良いと思える自分に虹色の世界を与えてくれたもの。
私にとって、今日飲む一杯のコーヒーも、いろんな情景が思い浮かぶ、カラフルな一杯だ。
まもなく30歳を迎える今。私はコーヒーの焙煎をしている。
虹色の世界をたくさんの人たちに届けていきたいと思っている。