「死にたい」「生きたい」この4文字に込められている意味、この4文字の重み、この4文字は紙一重だといつも思ってしまう。

人前では涙を見せず、誰より笑顔で。「自分は幸せ」と思いたかった

私は今当たり前だが生きていて、生きているからここにエッセイを書くことも出来る。
私は物心つく前から常に「死にたい」という気持ちがあった。きっと家庭環境があまりよくなかったからだろう…児童相談所に保護されたり、警察沙汰にもなることも多々あったが「保護される自分は情けないし、両親に申し訳ない」と思い、保護されても自ら頼み込んで家に帰るほど精神的に追い詰められた生活を毎日送っていた。

私は毎日笑っていたし人前で決して涙を流すことはなかった。誰よりも笑顔でいたと思う。
きっと笑顔をたやさないことで「自分は幸せ」と思い込みたかったのかな…
ある意味自己暗示をかけて辛い自分の感情を全て消し去ったつもりになっていたのかもしれない。
だけど、人間ってやっぱり誰でも人間だね。
心ってあるんだね。
苦しいって気持ち、涙を出したい気持ち、「助けて」って言いたい気持ち…心の奥深くでは消えなかった。

私は自傷行為がはじまった。
「何も解決しない」と理解はしていたが、苦しさを誤魔化す方法が分からなくなっていた。
夜部屋にこもって溢れんばかりの涙を流しながらはじまる自傷行為は、私に一瞬の安心感と自己嫌悪を与えた。
エスカレートする自傷行為はコントロールを失っていった。

突然訪れた「死ななければ」という使命感。何度も生死の境を経験

そしてその日は突然前触れもなく訪れた。
私は「死にたい」と思い「死ななければならない」という使命感を強く与えられた気がした。
「自殺未遂」
昏睡状態になり意識がうっすら戻った私はICUで沢山の管に繋がれていた。
ピコーンピコーンと鳴り響く音。
ドクターや看護師さんが急いで動き回っている足音。
消えてしまいそうな意識の中でも耳では感じ取っていた。
「○○さんの意識が戻りました」看護師さんの声と同時に何人ものスタッフさんが私の周りに集まってきた。
「あぁ私生きてるんだ」頭の中でふっと思い、私はまた遠い意識の世界に迷い込んでいってしまった。

退院しても「迷惑、お金のむだ」としか言ってもらえなかった私はやっぱり辛かった。
正直私は何度も自殺未遂を繰り返し、生死の境を何度も経験した。
10年も20年もそしてもうすぐ30年。
私は「生」と「死」の間をさまよい続けた。

「生きていてくれてありがとう」その言葉に、人前で声を出して泣いた

多くの病院から受け入れ拒否をされ、責任をおいかねませんという理由で断られ続けた私は今10年以上かけやっと1人の医師と出会うことができた。
その医師は私に「本当は生きたいんだよね。生きていてくれてありがとう」と優しく声をかけてくれた。
人前で決して涙を流さなかった私は、声を出して泣いた。
「そっか、私本当は生きたいんだ。死ぬことを選んでしまいたくなるくらい生きることに悩んでいたんだ

「死ななければならない」という私の使命感は「生きていてもいいんだ」という安心感に変わった。
きっとね「死にたい」って1度も思ったことがない人っていないと思うんだ。
そして私みたいに本当に行動に移してしまう人もいると思うの。
過去の私は未来の私(今の私)が生きているだなんて想像もつかなった。
でもね今私は生きてるよ。
今も悩むよ、苦しいもん本音はね。
だけど生きてさえいれば、何とかなるんだよ。
誰かに出会えて、誰かと繋がれて、もしかしたら笑ったり、嬉しいことも起きるかもしれない。
「死にたい」って本当は「生きたい」んだよね。
死にたいって思うほど生きることを真面目に悩んでいるんだよね。

私は生きるよ。
そしてみんな同じだよ「生きていてくれてありがとう」