「働くこと」が趣味になっていった

自分でも意外なのだが働くことが嫌いじゃない。
そう感じたきっかけは学生時代のアルバイト経験に遡る。

学生時代のアルバイトなんて、始めるきっかけは遊ぶお金が欲しいか、せいぜい1人暮らしの生活費が欲しいかのどちらかだと思う。
学生という本業があるのだから当たり前のことであり、私も実際にその中の一人だった。
お金を貯めて大好きなアーティストのライブに行ったり、好きな洋服を買ったり、年頃になってくると脱毛に通ったりもした。
一般的な学生と何一つ変わらない生活をしていた私が、もしかして私、働くことが好きなのかもと感じはじめたのにはきっかけがあった。

当時私は高級和食店にアルバイトスタッフとして勤務していたが、高級店なだけあり、お客様も難しい方が多く、スタッフへの教育も厳しい店だった。
オープン当時は私を入れて7名程いたメンバーも入れ替わりが激しく、オープンを共にした仲間は3年後には全員いない状態だった。

そんな環境の中で、私はオープンからのメンバーとしていつしか社長やオーナーからもバイトメンバーの中心になるように頼まれ、自然と責任感が沸いていた。
なので当時の店長から「この日、入れないかな?」と言われると本当に大事な用事や予定がない限り、お願いを引き受けるようになっていた。
もちろん、学業や趣味のライブなどに行けなくなるほどではないが、そのあたりから私のアルバイトの位置づけはライブに行くことや洋服を買うことと同じような、趣味にも似た位置になっていた。

つまり、働くことが全く苦ではないのである。
むしろ何なら少し「楽しい」という感覚である。

それは何故かというと、お客様はもちろん、店からも「求められている」「必要とされている」と自分なりに感じていたからだったと思う。
このあたりから、私は、お金は二の次で、だいすきなメンバーとお店を成功させていくことに夢中になっていたのである。

働くことは感謝されること

あの頃の感覚は実は25歳になった今でも変わっていない。
現在私は大学を卒業し、就職しているが、仕事もプライベートも充実している。

大学の同級生達と集まると必ずこう言う人がいる

「仕事やだー」
「行きたくない」

気持ちはすごくわかる。私だって人間だ。休みたい日だって、一生ベッドで寝てたい日だって、プレッシャーで眠れない日だってある。
だけど働くことを辞めようなんて思わない。
私にとっての働くことは、人間としての生活習慣だと思っているからだ。
食べる、動く、眠る、誰かを想う、これが人間の自然のリズムである。

人間は食べることをやめない。
それと同様に、毎日歯を磨く、お風呂に入る、ベッドで眠る、このラインナップに入るのが「働くこと」だ。

「働きたくない」と言っている人はもしかしたら楽したいという意味で軽く言っているのかもしれない。
そんなに重く捉えなくてもいいと思う、頑張った後のごはんは美味しいし、同じ物を食べても倍以上の美味しさを感じられるはず。

そして最後に私が働く理由として最大の理由がある。
食べる、眠る、のような習慣のうちの一つに仕事はあると言ったが、「食べる、眠る」ことでは感じられず、「働くこと」によって得られるものが一つある。
それは、「感謝される喜び」である。
食べたり寝たり、好きなことをするだけでは感じられない喜びが、働くことによって得られる。
「感謝されること」、すなわち「承認欲求を満たすこと」こそが、私にとっての最大の「働く理由」なのかもしれない。