私には付き合って3年になる彼氏がいる。社会人の方の中には3年も付き合えば結婚するという人も多くいるだろう。
が、私は学生の身なので結婚ということを遠いものだと考えている。

事実婚、通い婚を嫌だと思ったの自分の結婚観とは

私の彼氏はマイペースで、自分の時間を多くとる人だ。私も同じような性格なので、お互いに無理のないお付き合いをしていると思う。

そんな彼からこんなことを言われたことがある。

「僕、結婚は事実婚で通い婚がいいな」

衝撃だった。つまり彼は、婚姻届けは出さずに、別々の家で暮らしたいというのである。前々から結婚式を挙げたくないとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。私も結婚に対して強い憧れがあるわけではないけれど、その形式は「嫌だ」と強く思った。

「嫌だ」と思ったということは、私は結婚に対する理想像を知らず知らずのうちに抱いていたということである。そこで私は自分の結婚観を探るために、あの時の気持ちを思い出してみることにした。

どれだけ愛を確認できても結婚をしたという気にはならない

まず引っかかったのは、それは今と変わらないじゃないかということである。今の私たちはもちろん婚姻届を出していないし、家も一時間かかる距離だけ離れている。お互いに別の大学に通っているので、会えるのは月に2,3回だ。
環境は恋人たちの気持ちを大きく左右すると思う。もし籍を入れれば子供を作ってもいいなと思うだろうし、同棲だけ始めたとしても結婚をより強く意識するようになるだろう。
でも籍も入れないし同棲もしないというのでは、どれだけお互いの愛を確認できたとしても結婚をしたという気にはならないだろうと思った。

では、籍を入れればいいのか。法的に婚姻関係になったうえで別居をしていたら私はどう思うだろう。
とりあえず、入籍したら彼の苗字を名乗りたいと思っている。苗字を変更することは面倒なことも多いと聞くし、夫婦別姓を認める法律を望む声があることも知っている。ただ、私は彼の苗字を名乗りたいのだ。それこそ先ほどの環境の話で、自分の苗字が変わるという一大イベントによって私は彼と家族になったことを強烈に自覚し、彼に対してより愛しさを覚えると考えられる。もし彼も私と同じ考えの持ち主であったとするならば困りものだが、そこまで深く考えているようには見えないので杞憂でしょう。

私が結婚に求めているのは、日常からの脱出と家族以外の拠り所

一方で、同棲だけしたら私はどう思うだろうか。これにはあまり反論ができない。この状況には満足するだろうからだ。
先述の通り、私も彼も自分の時間が好きであるから、同棲する場合にはお互いの自室は必ず必要だと思う。個人的には、食事以外は自室で過ごすとかでも問題ないし、食事も夕飯だけお話しながら食べられたらいいかなくらいで思っている。
それでも同棲だけというシチュエーションに満足しているのには、同棲に大きなメリットを感じているからだろう。同じ家に信頼のおける人がいるというのは、いつでも相談しようと思ったら相談できる相手がいるという安心材料になり得る。

実家にいたとき、私は個人的な悩みを両親に相談するということをあまり行わなかったが、もし何かあれば両親に相談すればいいや!の気楽さで行動で来ていた裏返しでもあると思う。実際に頼ることをしなかったとしても、頼ろうと思えば頼れる相手の存在は大きいだろう。そんな存在に、同棲中の恋人はなり得るのではないだろうか。

ここまで考えてわかった。私が結婚に求めているのは、今の日常からの脱出と、家族以外の拠り所の存在。つまり結婚を通じて、生まれてからの当たり前をアップデートしようとしているのだ。