仕事で大きなミスをした。社会人1年目。まだ、そのミスがどのくらいの影響を及ぼすのかもよくわかっていなかった。でも、それにより取引先の仕事が増えてしまったり、費用が余分にかかったり、周りの大人たちが謝ったりしているのを目の当たりにして、ただ茫然とするしかなかった。

正直、本当に些細なケアレスミスで、見落としてしまうことなんてよくありそうな内容だった。上司にだって確認をしてもらっていた。こんな小さなことで大騒ぎするなんて、大袈裟だとさえ思った。

もちろん、謝った。でも本当にそこまでわたしが悪いのだろうか

もちろん、謝った。謝るしかできなかった。でも、その謝罪に対しても懐疑的な自分がいた。確かに迷惑をかけてしまった部分もあるけれど、数字としてそこまで大きな損失を出したわけではない。本当にそこまで、わたしが悪いのだろうか。

自分に対する情けなさ、でも、自分のミスを認めきれない悔しさのようなことが渦巻いて、悶々とした日を過ごしていた。そんなある日、彼といつものように電話をしていた。

とりとめのない平凡な会話にトゲトゲの心が緩んだ。くだらない軽い話がありがたかった。そして話題は、離れて暮らす彼の近況から大学時代の思い出話へと移った。彼は大学時代に映像やパンフレット制作の活動をしていたことがあり、その活動は苦労も多かったが、楽しかった、という内容だった。わたしは彼の大学時代の活動をよく知らなかったため、「具体的にどんなのをつくっていたの?」「どんなふうにつくっていたの?」と興味深く聞いていた。

「神は細部に宿る、かぁ」仕事でのミスが頭にオーバーレイした

そのエピソードのなかで、「先輩に言われた言葉で、よく覚えているんだけど」と前置きして、「神は細部に宿る」って教えてくれたんだよね、と彼は言った。
「神は細部に宿る、かぁ」とわたしは繰り返してつぶやいた。その言葉は、チクリと胸に突き刺さった。言葉の意味を考えれば考えるほど、仕事でのミスが頭にオーバーレイした。彼からのその後の説明はよく覚えていない。

電話を切った後、改めて「神は細部に宿る」という言葉に向き合った。本当に大切なものは、細かいところや人の目にはつきにくいようなところにあらわれる、という意味だと解釈した。

細かいところにこだわり丁寧に取り組むことがいいものを生み出す

自分の仕事ぶりやそれまでの価値観を振り返ると、大体よければ大丈夫、多少のミスには目をつぶろう、なんとなくでもなんとかなる、そういった曖昧さや雑さがあった。それは長所でもあったが、幾度とない失敗を引き起こしてきた要因にもなっていた。
誰からも気づかれないような細かいところにこだわり、丁寧に取り組むこと、それが本当の意味でいいものを生み出すことに気づかされた。

ほんの少しだけ丁寧に暮らすわたしを気に入っている

そんな簡単に性格は変わらない。だけど、意識は変えられる。コピーの仕方、会議資料の作成、とりあえず形になっていればいい、と思っていた些末な仕事も、無駄に時間をかけるわけではないが、一つひとつ丁寧に、何のために行うのかを意識しながら行うようになった。
私生活でも同様で、掃除の仕方や料理の仕方、なんとなくでもうまくいくことも多いけれど、部屋の四隅のホコリをとったり、計量カップではかって調理をしたりと意識するようになった。

大雑把でテキトーなわたしも嫌いではないけれど、以前よりほんの少しだけ細部に目を配り、ほんの少しだけ丁寧に暮らすわたしを気に入っている。