わたしたちは昨年の9月に結婚した。付き合って5年、遠距離を続けてようやく、結婚した。穏やかで大人な性格、金銭感覚も似ており、わたしたちは親友のような関係。結婚適齢期ということもあり、自然な流れで結婚しようということになった。
わたしは結婚に対してポジティブなイメージがあり、大好きな人と結婚できてなんて幸せだ、これからもずっと幸せに暮らせる、なんていうめでたしめでたしなディズニープリンセス並みの思考だった。

わたしたちは夫婦になったものの、仕事の関係でまだ一緒に住んでいない。月に一度、わたしが彼の家に泊まりにいく、いわば週末婚のような感じ。彼氏・彼女の頃は「寂しい」「早く会いたい」という気持ちが強かったが、あることが理由でこの感情がめっきり減ってしまった。
それは、恋愛感情の死滅。さきほどのディズニープリンセスはどこにいったのかと思うほど信じがたい話だが、プリンセスでも結婚すると恋愛感情は死ぬみたい。

「好きにしていいよ」に腹が立つ。結婚して変わる相手に求めるもの

恋愛感情が半分ほど死んだきっかけに、結婚式の準備がある。
彼に何を聞いても「好きにしていいよ」という返事。まあ振り返れば、食事もデートプランもわたしに合わせてくれて、なんでも「いいよ」といってくれる優しい人なのだ。しかし、結婚式の準備については「好きにしていいよ」という言葉は優しさではなく、怠慢そのもの。世の中の多くの花嫁はわかるとおもう。
結婚式の話だけではない。子供のこと、住む家のこと、仕事のこと、今後すべてのことを「好きにしていいよ=あなたに任せます」と一任されるのは、重荷すぎるし想定外だった。
「もっとしっかりしてほしい」「一緒に考えてほしい」そういう怒りが、わたしのふわふわでかわいいピンク色をした恋愛感情を押し潰した。
イメージでいうと、恋愛感情がオーロラ姫で怒りはマリオに出てくるドッスン。今までずっと止まっていたドッスンが急に起きて潰される感じ。
コロナの影響で結婚式を延期するかどうかの時も、うやむやな返事しかしてこない彼にまたわたしのドッスンが動いてしまった。
こうして彼に対する恋愛感情は死んでいったのである。

恋愛感情はドッスンにやられてしまったが、彼を好きという気持ちはしっかり生きている。これが死んでしまうとやばい。
勤めている会社の偉い人が言っていた「結婚相手はただ好きなだけじゃだめ、人生を預けてもいいと思う人としないと」という言葉の意味がめちゃくちゃわかる。だって、結婚すると恋愛感情は死んでしまうのだから。その先は、相手への信頼や愛情といった強い何かに変わっていくのだと思う。その強い何かを創っていくのは、お互いの努力次第なのだろう。

結婚は「何か」に終止符を打つこと?

世の中に溢れる結婚したい理由。大好きだから結婚したい、嫌いな仕事を辞めるために結婚したい、親が口うるさいから結婚したい、法的に家族になりたい、子供がほしいから結婚したい、一人が嫌だから結婚したい…。
わたしの考えだが、結婚する前は結婚をゴールだと思っている人が多いと思う。それぞれ「何か」に終止符を打とうとしている。
わたしたちも、遠距離恋愛という不安定な関係に終止符を打つため、安定した婚姻関係を選んだ。
実際結婚してみて思うが、結婚は終止符でもなんでもない、極めて現実的な日常そのもの。大好きだという感情はなくなるかもしれないし、仕事はやめても自由がなくなるかもしれない、結婚の次は子供がどうのこうのと言われるし…世の中結婚したって嫌なことはなくならない。
それがわたしたちの日常なのだ。

結婚という言葉だけをとると、ドラッグのような存在なのかもしれない。麻酔か、痛み止めか、自分たちを楽にするための薬、一筋の希望のようなもの。わたしが結婚前に抱いていた感情、そのものだと思う。

「結婚、どう思う?」と聞かれたら、「いいもんだよ」と答えることにする。結婚する前の人たちにとっては、一筋の希望なのだから。