社会人になって、もうすぐ7年が経つ。
7年…。小学生だったら、入学から卒業まで終える期間だ。思えばずいぶん長い道のりだった気もするし、一瞬のようにも思う。

「いつかディレクターに」という、諦めきれない思いが原動力に

もともと、雑誌の編集者になりたかった。
雑誌のモデルを切り抜いたり、ポスカで隙間なく文字を埋め尽くしてプリクラ帳をデコるのが大好きだったから。そのうち「紙」だけでは飽き足らず、自身でロゴの制作や、簡単なHTMLを書いて“ホームページ”も制作するようになった。ただただ、自分の作ったものが「形」になり、周囲の人に褒めてもられる感覚が嬉しかったのだ。

大学に入ると、冊子を作るサークルがあったのでそこでDTPのイロハを培った。将来は編集プロダクションで編集者になるか、自社メディアのある会社でディレクションをやりたいなぁとぼんやり考えるようになった。

新卒で入社したベンチャー企業は、自社メディアの運営がメインの会社だった。
いつかは自分でディレクションを……と思いつつ1年が経つ頃、私は何故か人事になっていた。「採用活動」がメイン業務となる日々は元々やりたかったこととは違うけれど、自分の特性にはあっているようにも思えたし、それなりに“やりがい”のようなものは感じていた。

しかし、「いつかディレクターに」という諦めきれない思いが勝り、2年目が終わるころ、転職を決意した。

憧れのディレクター職に。でもとにかく大変で、とにかく忙しい

2社目にして、憧れのディレクター職に就いた。

やってみるととにかく大変で、制作における構成作りや進行管理はもちろん、クライアント折衷、下請けや社内の業務調整、原稿のチェックからコンサルティング、ワークショップや見積もりの作成など、もはや“なんでも屋”みたいなところがあった。(もちろん、企業によって求められる業務範囲は様々だと思うけれど……)

基本的にプロジェクトごとにチームで進めるものの、自分がチームの長になる形で進行するので繁忙期はとにかく忙しく、22時を過ぎてやっと退勤の連絡ができるような毎日。ひとつ終わらせても、常に新しいタスクが降ってくる。

…正直、少し疲れていた。

半年ほど前に、考えた。
「わたしのやりたいことって、本当にこれだっけ?」

雑誌のモデルを切り抜き、つぎはぎしながらページを作ることが楽しかったあの頃を思い出す。
「何をどこに配置したら魅力的かな?」
そんなことを繰り返して、無限に時間が溶けていく日々には、どれほど彩りがあっただろう。希望があっただろうか。

今はただ、日々のタスクに追われて視界がどんどん色あせていくのを感じる。

社会にでた頃から、変わった。もはや「私個人のやりたいこと」はない

今年、結婚して3年が経つ。夫婦共働きで、世帯収入でいえばそこそこ良い部類に入る。正直、私が収入0になっても贅沢せずに「生きる」だけなら可能だと思う。いっそ、扶養に入る?そんな気持ちも芽生えるが、すぐに消える。

…だって、夫が倒れそうなとき、彼に「逃げ場」を用意できなくなる。

“私が働く理由”について、考えた。

たぶん、社会にでたあの頃から、心情はどんどん変わっている。
最初は「自分のやりたいことを実現するため」だった。それが今では、「大切なひとを守るため」にかわっている。

家族になることを選択したからこそ、夫にとっても、妻である私にとっても、なにかあった時には“支えあえる状況”が必要だった。経済的に、支えられるような力がないといけない。

ただ、もはやそこに「私個人のやりたいこと」はない。


この春、私は会社を辞める。
上司にはまだ伝えてないけれど、辞める準備は進めている。仕事は続ける。ただ、働く照準を「いま」にあわせるのだ。
“大切なひとを守るため”に必要な仕事と、“私個人のやりたいこと”を別軸でとらえる。

変わってきた「働く理由」をどちらもつかむため、再スタートを目指している。