「人から出たものは全て汚い」

研究室配属日、教授から言われた。

「人から出たものは全て汚いんだ、例え垢であっても、便であっても、体液であっても、そして言葉であっても。君たちはこれから卒業論文を書くにあたり、君たちの中から出た言葉で書き、発表するわけだから、人に汚いものを披露するんだ」

なんとなく、規律が緩そうという理由で選んだ研究室で、教授から初めに言われた言葉が、今でも忘れられない。

やりたいことがあって入ったはずの大学であったが、自分よりもはるかに専門的な知識を持った周囲の人々に圧倒され、自信を失い、段々と専攻分野に興味をなくしていた。
卒業論文のテーマも、最初は研究したいと思えるテーマが漠然とはあったが、やり通す強い気持ちがなかった。テーマの根拠、やりたいと思い続ける強い意志がなく、あきらめた。

「どうせ汚いものだから、見せない方がいい」
そう思い込んだ私は、本音をふさぎこみ、何もできなくなった。
結局、ギリギリになって書き始め、当たり障りのない論文とも言えないようなレポートを提出した。汚い心で書いた文字は確かに汚く感じられるなと思い、提出以来自分の論文を読む気にならなかった。

私の本当にやりたいことは何だったんだ?
何もわからないまま、私は大学を卒業した。

一人でいても、誰かと会話している気分になれるラジオに救われた

社会人になった私は、地元からも、大学からも離れた地域にやってきた。
世間はコロナウイルス大流行期だった。
家族や大学時代の友達に会いたくなっても、新幹線1本でいつでも会いに行けるから大丈夫と思っていたのも束の間、外出自粛要請によりどこにも行けなくなった。
知らない土地で一人になってしまった私は、部屋の中で生きる術を模索し続けた。

そして私は、ラジオにはまった。
一人でいても、誰かと会話している気分になる。ラジオパーソナリティの日常的な話や、リスナーの悩み事まで、誰一人として顔を合わせたことはないが、友達と話しているような時間を過ごせた。
AM、FM、ネットラジオ、多くて週に20本近く聞く生活を続け、寂しい気持ちを紛らわしていた私は、いつしか「私もラジオをやってみたい、ラジオパーソナリティになりたい」と思うようになった。

夢に見ていたラジオパーソナリティへ

勇気を出して高校時代からの友人に声をかけ、ラジオアプリで2人の番組を始めた。
日常の何気ない出来事、好きなもの、ムカついたことをただただ話すだけの、誰かに何かを伝える、というよりはダラダラと駄弁る番組になった。
それでも、自分たちのラジオを聞いてみると、恥ずかしいながらも、案外面白く感じられた。

週に一度の更新をくり返し、3ヶ月経つ頃には、自分のトーク力に少し自信が持てるようになった。
そんな時、地域のコミュニティFM放送局でラジオパーソナリティの募集ポスターを見つけた。思いきって応募したところ、成り行きで自分の番組を持てることになった。
夢に見ていたラジオパーソナリティになってしまったのだ。

「人から出たものは全て汚い」

私がラジオに出る、公共の電波に私の言葉をのせる、その自覚が生まれた時、あの日の教授のひとことを思い出した。

「私が今から電波を通じて、汚いものを出していくんだ。でも、それが私がやりたいことなんだ」

マイクを前にした時、ずっと心の奥にしまっていて吐き出す勇気がなかった言葉が溢れ出てきた。イヤホン越しに聞いていたパーソナリティたちの軽快なトーク、その真似をするように私の話したいと思ったことをどんどん言葉にし続ける、そんな一人語りを電波を通じて発信した。

それでも、私の言葉を伝えることで元気になる人がいる

ずっとやりたいと望んでいたことを叶えられた達成感から、友達にラジオを聞いてもらった。
「楽しかった」「普通に面白い」「聞いてて元気になる」。そんな前向きな言葉をかけられ、華々しいラジオパーソナリティデビューを遂げた。

人から出たものは全て汚い。
しかし、汚くても誰かにとってはきっと役に立つものになる。
例え汚い言葉の塊でも、論文というきれいな形に表現すれば、後に同じテーマで研究する人の救いになり、何より論文を書いたという経験が自分の自信になる。
教授はそう伝えたかったのかもしれない。

私の中から出てくる言葉は全て汚い。
それでも、私の言葉をラジオ番組というきれいな形で伝えることで元気になる人がいる、そしてその経験が私の自信になっている。

なお、ここに綴っているのも、私の中から出てきた汚いものたちをエッセイというきれいな形に表現したものである。
お目汚し失礼しました。