私は何か文章を書くときは、いつも頭の中に思い浮かべる誰かに向けて書いています。
今日は、5年前の今頃、大好きだった彼氏と別れたものの未練たらたらで、週末になると必ず縁結びで有名な都内の神社まで足を運んでは、神様に「もう一度チャンスをください」とお願いしていた20代前半の私に向けてこれを書きます。

お元気ですか。
ごめんなさい、元気じゃないですよね。手元のおみくじは今月2回目の末吉で、しばらく何もない辛抱せよって書いてありますね。あとその神社のお守りは有名なお花モチーフのものではなく鈴モチーフのものの方が効果があったので、そっちの方がお勧めですよ。まぁこれはあなたがその後に得る経験に基づく個人の感想なんですけどね。

今日はあなたに、うれしいお知らせと悲しいお知らせが1つずつあります。
うれしいお知らせは、5年後あなたは結婚し、つつましくもなんだかんだ幸せに暮らしています。
悲しいお知らせは、その結婚相手はあなたが言うところの「運命の人」ではありません。

彼と出会ってできた、運命の人の定義

周りにメンヘラと揶揄されようともその未練がましさに引かれようとも、周りからの自分への評価なんてかすんでしまうほど、あなたにとってその人は特別な人でしたね。
好きな食べ物の傾向も行動パターンもなんとなく似ていて、私が考えていることやして欲しいことを的確に見抜いてくれる。
子供のころから「他人から理解されること」を期待してなかったあなたが完全に心を許せていたのは、今考えても彼ぐらいだったかなと思います。あなたはそんな彼に対する絶対的な安心感や、赤の他人と言動がシンクロするその心地よさを「運命」と信じて疑っていませんでしたね。

あなたは彼に出会ってから、無意識に運命を「自分に負荷のかからないという安心感」と定義していて、それを感じることができない人は運命じゃない、と思っていますね。
本来であれば、それは違うよ!といいたいところなのですが、残念ながらあなたの頑ななその価値観は簡単には変わらず、今に至っています。
つまり今の私でもなお、「運命の人」という定義は変わっておらず、そこに当てはまるのは彼ただ一人です。

でも、あなたと今の私では決定的に違うことがひとつだけあります。

それは、「運命の人」であれ誰であれ、人との出会いはいつもベストなタイミングでやってくるということを理解しているということです。

あの時に出会ったからこそ、「運命の人」とならなかった彼

これからあなたは、転職、新しい出会いを求めての恋活、家族の問題など、いろんな事にぶつかり、折り合いをつけながら自分の納得する選択をしていきます。要するに頑張ってその一瞬一瞬を生きようとします。
すると必然的に、自分の考え方も周りの環境も、変わっていきます。もちろん付き合う人も変わっていきます。
そんなあなたがこれから仲良くなる人たちは、あなたが泥臭く不器用にそれでもめげずに前に進もうとする過程の中で出会い、その過程の中で距離が近づく人たちです。
そしてそんな人たちに囲まれながら、今の私は「もし数年前に出会っていたら、この人たちとはそんな関わり方はできなかっただろうな」とぼんやりと考えます。

それと同じで、私たちの運命の人は、あの時に出会ったからこそ私たちの「運命の人」になりえて、あの時に出会ったからこそ「運命の人」じゃなくなってしまった。でもあの時こそが私たちと彼が出会う一番ベストなタイミングだった。ただそれだけのことだと今では思います。

だから、今は無理に彼のことを忘れようとしなくて大丈夫です。というかそんな簡単に忘れられたら苦労はしません。世間が「運命の人」としてもてはやすのはいつだって結婚相手で、それを聞くたびに胸が締め付けられるような気持ちになってしまうと思います。でもまずは投げやりにならずに、毎日に丁寧に折り合いをつけながら生きることを少しずつ始めてみてください。「運命の人」にこだわることはできなくても、ベストなタイミングで素敵な人に出会い、あなた自身も自分の選択を心からよかったと思う日が来ます。

その日を楽しみに、ここまで来てみてくださいね。私もこれからこの文章を書いたことを数年後の自分が恥ずかしく思わないように、「運命の人」ではない素敵なパートナーとの生活を、大切にしていきたいと思います。