大波乱だった2020年が幕を閉じる少し前、私は婚約をした。

長く付き合ってきた彼からプロポーズを受けることは本当に嬉しかった。遠距離の時期もあったけど、これからは家族として、何かトラブルがあってもいちばん近くにいて、支えあって生きていけるのだと。
思えば彼と付き合う前、私には結婚願望があまりなかった。結婚したら自分の自由がなくなりそうだし、相手の家族との付き合いも面倒くさい。最近は離婚も多いと聞くし、上手くやっていける自信もない。だったら一人で生きればいい。モテなかったから諦めていたのかもしれないけれど、とにかく私は自分が結婚する未来を想像できなかった。

「次いこ、次!」相談に対する友人の言葉に、頭がハテナでいっぱいに

けれど、彼と付き合っていくうちに、この人と結婚したいと思うようになった。他人に自慢して回れる超ハイスペックだとか、輝いて見えるほど容姿が整っているとか、いわゆる「理想の結婚相手」的な特徴を持っているわけではない。ただ「私にとって、一緒に生きていきたいと思える」人だから、そう思えたのだ。
しかし、私が彼との結婚を望むようになってから婚約に至るまでにはそれなりの時間を要した。先述した遠距離の問題もあったけれど、彼の気持ちがなかなか固まらなかったのだ。そのことを友人に相談したとき、こんなことを言われた。

「次いこ、次!」

ん?と頭の中がハテナでいっぱいになった。「彼と結婚したいけれど、彼がまだ同じ気持ちではない」という話をしたのであって、彼のことが嫌になったとか、もう彼じゃなくていいから結婚したいとか、そんなことは言っていない。繰り返しになるが、私は元々結婚願望が強かったわけではなく、彼と付き合う中で初めて結婚をイメージできたのだ。「次」の人と付き合ったところで、同じ気持ちになれるかわからない。

他人の恋人に結婚願望がなさそうだからって、その言葉は大きなお世話

結婚することが「ゴールイン」と表現されることがある。恋愛の目的は結婚であり、結婚することがプロジェクトの完遂かのように言われる。相手に結婚願望がない、プロポーズする気がないとわかったらプロジェクトは失敗なので次を探す。結婚に繋がらない恋愛を続けるのは無駄、結婚してくれる相手と付き合うのが正解だと言わんばかりだ。

もちろん子どもを産みたい人や綿密な人生プランがある人は、悠長なことは言ってられないから結婚ありきで恋愛する、という場合もあると思う。だから「結婚」を目標に婚活したり、結婚願望の有無を恋人選びの基準にすることがダメだと言うつもりはない。ただ、他人の恋人に結婚願望がなさそうだからと言って、「そんな人とは別れなよ」「次に行かないと」などと言うのは大きなお世話だ。その恋人と一緒にいることが、結婚よりも大事な人だっている。

結婚にこだわったんじゃない、彼といることにこだわったから結婚した

とはいえ私にも迷いはあった。「このままずるずる付き合って、結局結婚できずに別れてしまったら後悔するだろうか」と考えたこともある。それでも私は「結婚」にこだわったのではなく、「彼といること」にこだわった。彼とだから結婚したかったし、結婚に至らないことを彼と離れる理由にはできなかった。むしろ「結婚」は、この先彼と離れないための手段に過ぎなかった。

私は彼以外の人と付き合ったことがないし、結果的に婚約に至ることができたので、こんな綺麗ごとが言えるのかもしれない。それでも、「誰かとの結婚」ではなくて、「彼との結婚」だからこそしたいと思った。「結婚」だけを切り取って議論されることに違和感があるのは、きっと私だけではないと思う。
あのとき「次」の人なんて探さなくてよかった。私はこれから彼と生きていく。結婚はその決意のスタートラインだ。