「ええ人はおらんのか」

27歳の正月、コロナに最大限注意を払いながら地元に帰った私が、一言目に祖母から言われた言葉。私が働く東京では27歳で未婚なんて珍しくもなんともないが、地元では27歳という年齢は将来が不安になる年齢らしい。

「いや、おらんよ」
去年、おらんくなったよ。と心の中で呟いた。

安心のある「普通」から脱線した20代後半

上京する前から4年半ほど付き合っていた彼氏と別れたのは、ちょうど一年前の正月明けだった。プロポーズも両者の親への挨拶も済んで、一緒に住んで半年。お互いにすれ違ってストレスが溜まりに溜まっていたから、別れ話はこじれることもなくまとまった。結果、一年で2回も引っ越しを経験する羽目になった。

別れたときに一番に感じたのは、「あーあ、普通の人生から外れちゃうかも。」だった。
今まで、絵にかいたような平凡な人生を送ってきた私は、このまま彼と結婚してそこそこの年齢で子どもを産んで、これからも普通な人生を送っていくんだろうと思っていたのだ。
好きで付き合った彼だったが、実際に結婚の話が出たときは「好きだから結婚する」というより、「20代、そろそろいい年だから結婚する」の方が気持ち的には大きかったかもしれない。結婚すれば、親だって安心するし、周りと比べて卑屈になってしまうこともないと思っていたから。
大学時代に知り合った彼と、数年のお付き合いを経て結婚。星の数よりよくある話。自分もそんなよくある話の一つになりたかった。

――安心半分、諦念半分。人生ってこんなもん。

そんな気持ちが相手にも伝わっていたことも、別れる要因の一つだっただろうなあと今になって思う。本当に申し訳ないことをした。今更時間は返せないし、私だけの原因で別れたわけではないから、今更詫びる意味はあまりないんだけれど。

コロナ渦でも感じる一人の時間の楽しさ

別れて1年、つまり一人暮らしに戻って1年。周りの友人が心配してくれるほど落ち込むこともなく、一人暮らしの楽しさを満喫してしまっている自分がいる。運動が趣味だった彼の乾きづらくて量が多い洗濯をしなくてもいいし、彼が全くやらなかった水回りの掃除をしなくてもいい。夜の誘いを疲れているから、と断らなくていい。

一人暮らしに戻った当初は、元カレに全く未練がないことに少し笑ってしまった。
一人でいることは予想以上に自分に向いていたようで、このコロナ禍でもおかげさまで楽しく生活出来ている。仕事は20代の今が頑張り時だと思っているし、休日にやる趣味も以前より充実した。自分の時間を自分のペースで使えるあまりの気楽さに、一人でいるメリットを感じてしまう。
コロナ禍のなかでリモートワークが推進され、家から出ることが少なくなったから新しい出会いを作りに行くのも気が重い。

「普通」でいるための手段として結婚をするのは違う

ただ、周りの結婚報告を聞くことが増える20代後半、このままでいいんだろうかという不安は常に感じる。SNSで同級生の出産報告を見ることも増えてきた。30代の先輩は、20代のうちに相手を見つけろというし、親や親戚も私の結婚を心配している。ずっと一人でいるのは、自分が思っていた「普通」の人生ではない。
結婚しないことが一般的になりつつあるのも知っているが、27歳になった今、依然として結婚は多くの同世代が興味のある話題だと感じる。周りの友人も結婚をしたいという人が多いし、結婚が普通、という考えがまだまだある世代なんだと思う。

それでも、自分が「普通」でいるための手段として結婚をするのは違うと身をもって理解した。だから、結婚をしたくなる相手が出来るまでは、一人でいようと思う。たとえそれが、自分の「普通」とは違っていても。

――不安半分、希望半分。人生ってこんなもん。

そう思って、今日もお一人様を満喫している。