お母さんへ

お母さんと絶縁して4年経ちました。元気ですか。
4年前、私はお母さんと決別をしました。
それは、お母さんが私を虐待したからです。紛れもない事実です。
お母さんは、歩けない私を突き飛ばした。ご飯を作ることのできなかった私にご飯を与えなかった。私が働いてきた給料を握っていた。私へ包丁を向けて殺すと言った。
お母さんは、娘である私から離れることができなかった。
驚くことに、今、私はお母さんの顔や声を思い出せない。意図的に記憶から消しているだけかもしれない。でも、この事実は覚えている。忘れるわけもない。

生まれてからずっとつきっきりで私のお世話をしてくれたよね

お母さんから離れて、気づいたことがある。
お母さんは、生まれたときから離れるまで、障害のある私の面倒を一人でみていたね。学校にも必ず送り迎えしてくれたし、家事も全てこなしていたね。
私は、私が大人になるにつれてお母さんが疲れていることに気づいたよ。
いつしかお母さんは、笑わなくなった。家で、泣いていることが多くなった。怒ることが増えて、怒鳴る回数が増えた。だから私は、部屋に篭った。
私は、お母さんの笑顔がみたかった。
笑っているお母さんが大好きだった。
お母さんと笑わせようと、あえてボケてみたりしたけれど、お母さんにその意図は伝わることなく終わってしまった。私は娘なのに、お母さんを笑わせる事が出来なくなっていた。
そんな自分が情けなくて、つらかった。
私がお母さんにとってストレスだとわかっていたから。
そして大人になった私の世界はお母さんではなく、もっと広い社会に向いた。
友達と夜中までドライブに行くことがとても楽しかった。でも帰ってくると、お母さんは逆上して怒った。理由は今でもわからない。笑わせるどころか、もっと怒りを買う結果となった。

ひとり社会に出た今、お母さんの気持ちがわかった気がする

そして、決定的な出来事があり、行政機関を通してお母さんとお別れをした。
もう二度とお母さんを笑わせる事ができなくなった。むしろ、お母さんの心に傷をつけたのは私だ。
お母さん、本当にごめんなさい。
お母さんの笑顔が大好きだった。
何気なく、お母さんが話す職場の話や、お母さんの友達の話を聞くのが好きだった。
お母さんと住んでいたとき、私はお母さんに甘えていたから、お母さんに社会への不満をぶつけていた。
車いすで社会へ出たら、心無い冷たい人達にたくさん出会った。出会うたびに傷つき、家で心を閉ざすことが多くなった。
そういう意味で、私もお母さんを心の拠り所にしていたのかもしれない。
何度謝っても癒えることのない傷だけれど、お母さんごめんなさい。
自立してひとり暮らしをして、お母さんが泣いていた意味、少しわかった気がする。

一生懸命に私を育ててくれてありがとう。私もお母さんみたいになりたい

きっと、疲れてしまったんだよね。
疲れるくらい、一生懸命に私を育ててくれてありがとう。
私を産んでくれて、ありがとう。
どうかこれからは、お母さん自身の人生に時間を使ってください。
お母さん、もう私を忘れて幸せになって。私はお母さんに忘れられても良いと思っている。
私は今、結婚して家庭を持っている。
お母さんに聞きたいこともたくさんあるけれど、ばあちゃんを思い出して真似ている。じいちゃんは、会いたくないようだったので会いに行くことをやめました。
私は、今ある自分の家族を大切にして、自分の命を一生懸命生きてみたいと思います。お母さんがせっかく、産んでくれた命だから。
そして私もお母さんみたいに、子供思いでまっすぐに生きるお母さんになりたい。