私にはプロポーズを断った過去がある。

今から4年前のことだ。そして今、どこかで恋愛にも結婚にも完璧にならなければと、びくびく怯えてしまっている。完璧さなんて求めずに愉しめば良いのにって、いつも思う。

完璧なんて求めてたら窮屈になるだけなのだから。それを誰にも気付かれないように意識はしているけれど隠せていないらしい。

半年前から冷めてしまっていた私に、彼からのプロポーズ

彼とは8年間、友達関係。その後、3年付き合って25歳の時に別れた。遠距離恋愛だった。彼のやさしく受け止めてくれて、柔らかく包み込んでくれる、そんな所が好きだったし頼もしかった。性格も、どこか似ているようで似ていない。生まれも育ちも違う。でも家の事情で信仰している宗教が同じで、だからこそ惹かれ合ったというか自然と惹かれていったというか、今はそう思っている。二人の間にある、共通点は兄妹で一番上という生まれた順番と宗教だけだった。

最初は私からの告白で、当時お互いに忙しく、年に1回会えれば良いくらいの頻度で会っていた。連絡は、いつも私からで、どこか寂しくて。でも彼は彼なりに向き合ってくれていた。それでも別れる半年前からは私は冷めてしまっていた。そこにプロポーズだったのだ。

彼としては、これからって時だったと思う。彼は簡単に言うと、良い家柄のお坊っちゃん。私とは全然立場が違う。私はどこかで彼との将来のことで人一倍責任も感じていたし、現実を見ていただけだったと思う。でも今考えれば、あまりにも幼稚で自分勝手な判断だったかもしれない。

当時の私には、どうしても乗り越えなければならないハードルが、たくさんありすぎて、必死で応えようとしていた時でもあった。

仕事も楽しくなってきて、これからを見据えて期待されていた。そして仕事のキャリアと宗教とのステップアップ。天秤にかけながら、結婚が舞い込んできて何も手につかなくなった。すべては私の不器用なところが悪いとさえ思った。それに私は、あの大震災があってから変わってしまった価値観も邪魔した。今思えば変な正義感とも言うべきことなのかなって思わざるを得ない。

大震災を経験し、二度と家族と離れたくないという信念があった

私は、大震災のときに一時的に家族と離れ離れになった経験をしている。だからなのか、家族の存在が大前提としてあって家族と離れ離れになる経験は二度としたくないって信念がある。プロポーズを断った理由にも、それが邪魔をした。

大震災の前からを含めて4年間、実家から離れた大学に通っていた。しかも実家から遠距離で、なかなか週末に簡単に帰れず、一年のなかの長期休みの数日しか帰れないほどの距離にある大学。その大学を卒業して、実家のある県内に戻ってきて就職して、一人暮らしをしてからは休日に実家に帰省することを欠かさなかった。それは家族の安否を確かめたいからという不安な想いからだった。いつでも会えると簡単に思えない経験から、その不安をかき消すように行っていたルーティーン。

それが、まさか大好きな彼のプロポーズによって壊されてしまうのじゃないかって不安に押し潰されそうで、何度も、どこかに行っては泣き叫んだ。

断りたくない気持ちと、断りたい気持ちとが頭の中を行ったり来たりして、いつのまにかノイローゼみたいな状態になってしまった。そして、彼に限りなく丁寧に伝える事を心掛けて思いきって伝えてみた。そしたら彼は、ちゃんと受け止めてくれて理解してくれて、こんな私を心配して、たくさんの言葉で包み込んでくれた。

とめどない涙と感謝とが溢れてきて、何度も何度も、私は彼に貴方は悪くないって伝えていた。その真意を彼は理解してくれていたかまでは分からない。でも、プロポーズは嬉しかったと伝えることは当時の自分には出来なくて、申し訳ない気持ちで、いっぱいだった。

あのときプロポーズしてくれて、ありがとう

彼のプロポーズをこんな形で断ってしまった以上は生半可な気持ちで、結婚したいって思えないでいる。だからなのか私にとって結婚そのものが、ずっとずっと遠くに居て、こんな過去がある私は幸せになって良いのかなって不安が消えない。

彼とは不思議なことに年に何回かしか行かない宗教の行事で、見かける。容易に話しかけられない私はメールをする。彼は再び優しく受け止めてくれる。それは彼の変わらない優しさなのかもしれない。

私はまだ甘えてしまっているのかもしれない。彼との将来を考えるほど過ごせた3年間は私にとって、かけがえのない時間となった。自分の信念をひたむきに追いかけ続けようと、不器用ながらに、そして丁寧に積み重ねていこうと必死だったのだと今なら思える。

いつか、あの日プロポーズしてくれた彼に伝えたい。あのときプロポーズしてくれて、ありがとうって。