物心ついた時から私の傍には、いつも黒いもふもふの塊がいた。トイプードルのぷーだ。真っ黒でカールがかかった細い毛と、くすんだ青いビー玉みたいな瞳を持つ女の子だ。

賢くて可愛いぷーと過ごした時間は、私にとって「当たり前」だった

これをいうと親バカだと思われてしまうかもしれないけれど、ぷーは人間の言葉が分かる、頭のいい犬だ。「散歩行く?」と言うと飛んで喜んで、顔をベロベロ舐めてくるし、「ぷー!」と名前を呼ぶと、遠くにいてもしっぽをこれでもかと振りながら走ってくる。

トイレをする場所を間違えた時、ちょっと強い口調で「これなに?」と言うと、耳もしっぽも折りたたんであからさまに落ち込んでいる風なので可愛くてあまり怒れない。そんな賢くて愛らしいぷーとの生活は、当たり前に幸せで、あっという間に過ぎていった。

私は高校生になり、友達や彼氏と遅くまで遊ぶことも多くなった。夜遅く、親に見つからないように部屋に行きたくてこっそり帰っても、ぷーがすぐ気づいて走ってきていつも見つかるから、正直「もう!」と思う事もあった。

やがて大学生になると、県外で1人暮しを初めた私は、年に数回しか実家に帰らなくなった。それでも家に帰る度にしっぽを振って喜んで、顔をびしょびしょに舐め回してくるところはいつも変わらなかった。

ぷーから沢山の「幸せ」を貰ったのに、最後に私は何も出来なかった

そして社会人1年目の夏、ぷーは16歳だった。具合がよくないことを母からのLINEで知った。でも、小心者の私は1年目ということもあって有給を使うという事が出来ず、仕事を休めなかった。

「週末帰るね」と母に言った次の日の朝、ぷーは死んでしまった。

帰省出来たのは埋葬した後で、家は静かで違う建物みたいだったし、あのふわふわで暖かかったぷーが土の中にいるなんて信じられなかった。

最後にぷーに会ったのはいつだっけ、最後に家を出る時、なんて声をかけたっけ。賢くて言葉がわかるぷーに、もっと、もっと、伝えたいことが沢山あったのに。

会社なんて休んで会いに行けばよかったし、たくさん抱きしめてあげればよかった。「ありがとう」「大好きだよ」ってたくさん伝えれば良かったよ。あんなに沢山の幸せを貰ったのに、最後に私は何も出来なかった。

当たり前に続くわけないのに「当たり前に続く」って思いたかった

犬の寿命ももちろん知っていたし、そろそろだって考えたらわかるはずなのに、考えないようにしていたのかもしれない。当たり前に続くわけないのに、当たり前に続くって思いたかったんだと思う。たかがペットって思う人もいるかもしれないけど、私にとってかけがえのない家族だったのに。

ぷー、会いに行けなくて、何も出来なくて、本当にごめんね。最後に抱きしめて「大丈夫だからね」って言ってあげたかった。ごめんね。
こんな私の、心の支えになってくれていたこと、たくさんの思い出をくれたこと、本当にありがとう。

私は2年が過ぎた今も、ずっと考えています。ぷーの一生は、幸せだったのかな?