結婚ときいて、人はどのような景色を思い浮かべるのだろうか。
結婚式、2人で囲む食卓、互いの家族へ挨拶するところや3人目の新たな家族を想像する人もいるかもしれない。
しかし、私にはそのような景色を描くことがどうもできない。
私にとっては結婚なんて、単なるライフハックの1つでしかない。
家族からのプレッシャーや世間の目から逃れられると共に、税金が軽くなる場合だってある。
私にとって、結婚は世渡りツールの1つであって、それ以上でも以下でもない。
そこに、愛だの恋だの幸せだの、期待していない。
そんなことを友人に言ってみると「結婚したくないの?!」と、あの子は驚いていたけど。
あの子はきっと、仲良しの両親に愛情を注がれて育ったのだろう。
そして、いつか誰かが自分というたった1人の存在を愛してくれると思っているのだろうか。
健在で今も仲が良いにも関わらず私は「母の味」というものがわからない
私がこんな悲観的にみえる考えをもったのには、恐らく家庭環境が影響している。
私は「母の味」というものが分からない。
私は母ととても仲が良いし、今も健在だ。
大学から一人暮らしを始めて以来、母の料理を食べることは無くなったけれど、それまで母は毎日私に料理を用意してくれたし、美味しかったと記憶している。
けれど、「母の味」と言われると、覚えていないのが正直なところだ。
それはきっと、料理を楽しんだ思い出は仲の悪い夫婦の間でご飯を食べた記憶に打ち消されているからだろう。
学校から帰宅し、母に訊く。
「今日の晩御飯何~~?」
母はいつも、何か家事をこなしながら献立を教えてくれた。
一緒にご飯を食べることはあまりなく、テレビを観ながらご飯を食べていた。
「今日はこんなことがあったよ。」
「この俳優さん前のドラマでも出てたね。」
なんて、たわいもない会話をしながら。
しかし、このたわいもない会話は、父の帰宅と共に一変する。
父と母の喧嘩が始まると私はそそくさと食事を口に運んで部屋へ逃げ帰る
父が帰宅すると、母はいつも無口になった。
父は話しかけるし、返答がなくともしつこく話すけれど、母はほとんど返さなかった。
会話しようとしない母にしびれを切らして、喧嘩が始まる。
内容は、姑関係や私の習い事、地域イベントに消極的な母について、そんなところ。
喧嘩が始まると、私はそれをBGMに目の前にある食べ物を口に運ぶ。
周囲がうるさくて味がしないけれど、この騒音をかき消してくれと願いながらテレビの音量を少しだけ上げてみる。
母が用意してくれた温かい料理は、味を失ってゆく。
せめて温度だけでも失わないうちに。そう考えてそそくさと口に運ぶ。
食べ終わったら、小さく「ご馳走様」をして自分の部屋へ逃げかえる。
そんな毎日だった。
ある日、珍しく私がご飯を食べ終える前に、喧嘩が収まったことがある。
父が自室に戻っていったあと、私は母に訊いてみた。
「なんであんな人と結婚したの?一緒にいて楽しくもないのに(笑)」
母は、「ほんとにね、なんでだろうね(笑)」と笑い飛ばした。
そして小声で、続けてこう言った。
「でも生活させてもらってるからね~。この家出ても生きていけないし(笑)」
私はその時、母がとても小さく見えた。
返す言葉が見つからなかった。
専業主婦は労働環境すら選べないなら結婚なんて憧れでもなんでもない
彼女は、専業主婦だ。
結婚前は繊維の会社で働いていたと聞いたことがあるが、結婚後退社している。
毎日家族全員の料理をつくり、洗濯をし、父のワイシャツにアイロンをかけて、家中を掃除して「生活させてもらっている」彼女は、この家を出ていっても生きていけないらしい。
その労働環境が気に入らなくても。
その時に私は、
「女は結婚したら仕事を辞めるのか」
「女は専業主婦となり、労働環境すら選べない弱い存在になるのか」
そんな固定観念を持ってしまった。
これがただの一例であって、女が皆、彼女のような道を歩むわけではないと、頭の中では分かっている。
けれど、喧嘩の絶えない家庭で味のしない夕食を食べ続けた私にとって、結婚なんて憧れでもなんでもない。
結婚ときいて、あなたはどのような景色を思い浮かべるのだろうか。
もしあなたがキラキラした景色を描けなくても、それでいい。
私もそうだ。
結婚は世渡りツールの1つであって、使うも使わないも私たち次第だ。
いつか結婚するかしないか、そんなことは分からないけれど、自分を自分で幸せにする覚悟は忘れずに、生きていきたい。