例えば、今あなたに想いを寄せている人がいたとする。そしてその人が好きな人は自分だというほぼ確定の情報を耳にするとしよう。片思いではなく両思いだと知った時、大抵の人はきっと飛び上がるほど嬉しいだろう。

だが、そうではない人も存在する。

自分が好いている人から好意を向けられたとき、何とも言い難い嫌悪感に襲われて相手を拒絶してしまう人がいる。そして私も、好きな人が自分を好きだと分かると「気持ち悪い」と感じてしまう人間の一人だ。この不可思議な現象は「蛙化現象(かえるかげんしょう)」という名前がついている。

嬉しいはずの両思い。だけど、私が感じたのは「違和感」だった

「好きな人に好かれて嫌な気持ちになるなんておかしい」
「そもそもそんなに好きじゃなかっただけじゃない?」
「人の気持ちを弄ぶな」

そう言いたくなる気持ちも分かる。
だが、確かに好きなのだ。
それでもなぜか、嫌ってしまう。

高校生のとき、初めて大好きな人ができた。同じクラスで斜め前の席に座る男の子。クラスの中心人物で、陰キャラの私は遠くから彼の笑い声を盗み聞くことしかできなかった。そんな彼に秘めていた想いを数人の友人との恋バナ大会で口にしたのだが、いつしか学年中に知れ渡っていた。もちろん彼の耳にも私の恋心は伝わったのだが、ここで嬉しい誤算。

なんと彼も私に好意を抱いていてくれたのだ。
まるで少女漫画のような展開!
と喜んだのも束の間、私はその日から違和感を覚えるようになった。

「私なんかを好きになってくれたのに、ごめんなさい」

LINEを貰っても嬉しくないのだ。
むしろなぜか気持ち悪い。
一緒に帰ろうと言われても、気持ち悪い。
デートに誘われても、気持ち悪い。
私に向けられる視線が、気持ち悪い。
好きだった笑い声も、気持ち悪い。

あんなに大好きだった人にこんな感情を抱くなんて私はどうしてしまったんだろう……と悲しくなると同時に、自分自身にも嫌悪感を覚えた。

当時はガラケーを使っていてネットの利用も年齢制限をかけていたから安易にググることができず、この心理現象に名前があり、自分だけがおかしいわけではないということを知る術がなかった。異質に感じた自分を責めることしかできず、たくさん泣いた。

私なんかを好きになってくれたのに、ごめんなさい。
嫌な思いをさせて、ごめんなさい。

彼に対していつも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。学校では「好きとか言っていたくせに付き合わないで○○君を弄んだ高飛車な女」と言われて男女ともに嫌われた。そして高校卒業後、彼とは別の大学に進学した。

自己満足の道具にしたくないから、私は彼に謝らない

大学生になると、蛙化現象の存在を知り、私だけでなく多くの人が悩まされていることがわかった。蛙化現象を引き起こしてしまう原因はいくつかあるという。自己肯定感が低い、両思いになるまでの過程を楽しみその後に興味がない、性的行為に嫌悪感を覚えているなど。自分の身に起きた現象の正体や原因が分かったが、それでもあの彼に謝りたい気持ちは変わらなかった。

気持ちは変わらないが、実際に謝ることはないと思う。
謝る機会がないからではない。
この謝罪は自己満に過ぎないからだ。

私が好意を寄せていた人は、Instagramで見る限り彼女と幸せそうに暮らしている。もし彼の立場だったら、昔好きだったが付き合ってはいない人物から「私は蛙化現象であなたを避けてしまったの、ごめんなさい」と連絡が来たときになんて思うか。

謝る側は「やっと謝れた!すっきりしたー!」と気が晴れるかもしれないが、相手は「過去のことだし今更謝られても……」と感じないか。もちろん、人生において謝罪の弁を口にするべき場面が圧倒的に多いが、場合によって謝罪は一歩間違えれば自己満足の道具になってしまうのではないか。そう思うと、私は彼に謝ることはできない。

私はこれからも、彼に対する申し訳ない気持ちを高校時代の苦い思い出として、胸に秘め続ける。