「あ…時計止まってるわ」

リビングにある置き時計の電池がいきなり切れた。
戸棚の引き出しを探すが、単3電池のストックはなく、諦めてテレビのリモコンへ手を伸ばす。その時、スマホの着信音が鳴った。

待受画面に表示された文字は"来月、結婚することになりました"
何年も会っていない友達からの結婚報告だった。一瞬ドキッとして、携帯を置いてまたリモコンのボタンを押した私は、見たくもないチャンネルを行ったり来たりしている。
「……大丈夫。ちゃんとおめでとうって思ってる」
頭の中の引き出しを開けて、結婚報告の返事というテンプレートがまだストックされていたことに安堵した。

ストレスから、止まってしまった時間

いつからだろう。結婚報告が嬉しいことなのに、少しだけ、ほんの少しだけ心がざわついてしまうようになったのは。
アラサーという括りに入ってから?…前の彼氏と別れてから?
そんなことを考えながら、ぼんやりとポットのお湯をお気に入りのマグカップへ注いだ。「うわっ…コーヒー、下に溢れてる」

お湯を入れた反動でカップのヒビが割れてしまったのだ。
友達の結婚式の引き出物でもらったお気に入りのカップだった。
「名前も入ってたのに……あーあ。」
あの子は今頃、幸せな結婚生活を送っているんだろうか。

「…幸せって?」

2年前のある日、私は仕事中に目の前がグルグルと回転し、その場に倒れ込んだ。
あまりの気持ち悪さに嘔吐を繰り返し、救急搬送された。精密検査をしても原因は分からず、最終的にはストレスだと告げられた。

新卒から3年半いた会社を辞め、遠距離の彼氏とは別れて実家へ戻り、療養生活になった。
貯金も底をついた私は、ただ生きてるだけで精一杯だった。
周りの友達が結婚、出産していく中、羨ましいという感情ですら持てなかった。

「誰かと付き合ってもどうせ迷惑かけるし、すぐ別れるしなぁ」
「こんな状態で出産して子育てする体力なんかない」
「働けなくて貯金も出来ないし、結婚式もできない」
ないことばかりを探す毎日。ベッドで療養しながら天井を見上げ、悔しくて、情けなくて涙がこみ上げてきた。

私の時間はなんで止まってしまったんだろう。
ベッドから動けず、泣いているだけの毎日。それでもずっと頭の中で言葉だけは並べ続けていた。空想を広げ、メロディーに言葉を乗せてはノートに書き続けた。"いつか、この歌が誰かの単三電池になれる日が来るだろうか?"

ある時、スマホを眺めていたら「結婚、どう思う?」こんなストレートな問いかけが目に留まった。
思い返せば、私は小さい頃から、自分の中にある"何か"を表現することが好きだった。
幼稚園の頃はオリジナルの絵本を何十冊も書いては、園長先生に見せに走った。小学校では短い劇のシナリオを書いた。中学校ではスピーチコンテストに向けて覚えたての英文をあーでもないこーでもないと、並べて発表した。

好きなことに向き合う、それって結構幸せなことなんじゃないか?

「無い」にばかり目をむけず、「あるもの」に目を向ける

私は今、仕事も彼氏も貯金も無い。
でも、支えてくれる家族や友人がいて、家もあるし、毎日美味しいご飯を食べられる。そして、好きなことに向き合う時間がある。
真っ直ぐに歩くことも困難で絶望的だった体調は約2年半かけ、奇跡的に回復に向かっている。
以前のように日常生活を送れている今、心の底から感謝している。

ないものを探すよりも、今あるものに目を向けて大事にする。欲しいものは、これから掴んでいけばいい。そして今の私を好きになってくれる彼を見つけて、結婚しよう。そう決意した。

生きていれば、身体や心が壊れてしまったり、歩みが止まってしまうこともある。ヒビが入ったカップからは、心に隠していた本当の夢が溢れ出し、止まっていた時計の針は、少しずつ夢に向かって動き始めた。