私はいつも、「ゆみちゃんなら大丈夫」と言われてきた人生だ。
小学校のクラス替えで不安になっている時も、高校の受験の時も、就職も。
「なんとかこなせそう」の雰囲気は、小さいころから、地元を離れた今でも、醸し出し続けているらしい。

26歳独身 結婚相手はいない

私は26歳。独身。一人暮らしで会社員生活をしている。
友達は、結婚したりしなかったりだ。
スピーチを行ったり、結婚の報告を受けるたびに、どの文脈で言われたかも分からない「ゆみちゃんなら大丈夫」で焦りを打ち消す自分がいる。

23歳の時に、「結婚」をほのめかしてくる人がいた。
その人は「早くおじいちゃんになって、孫の顔が見たい」と言っていた。
その思いと言葉に上手く答えることが出来ず、結果的に離れていってしまった。

その後何人か、隣にいようとお互いに頑張ろうとした人はいるけれど、会うたびに発熱するという奇妙な出来事もあった。
すごく好きになったけど、自分の人生の方向性が定まっていないことに引け目を感じて、距離をあけてしまうこともあった。

「結婚も、なんとか大丈夫でしょ」と自分に言い聞かせている

私は「結婚」がわからない。
経験を積むたびにわからなさが増えていく。
だから私は そのたびに「大丈夫」の引き出しを、都合よく開けている。
反省をしつくしたら、「結婚も、なんとか大丈夫でしょ」とまとめている。
そしてそれを、自分に言い聞かせる言葉としても、周りに公言する言葉としても使っている。
こうして 自分のイメージ作りに加担してしまっているのだと思う。

久しぶりの帰省 昨日までそこにいたかのように迎え入れくれる実家

そんな中で年末を迎えた。
もうずっと実家に帰っていなかったので、新年は実家で迎えることにした。
帰省前、「ゆみちゃんなら大丈夫」の大丈夫が、「期待から不安への打ち消し言葉に使われはじめる時期かな……」と思い、帰るのが少し億劫になった。
しかし、その予感は外れ、実家は、昨日までそこにいたかのように、いつも通りで迎えてくれた。

我が家はテレビをよく見る。そしてその出演者や内容について議論もする。
その日は、数人の芸能人が巨大テーマパークで鬼ごっこをするという番組を見ていた。
ただ逃げるだけでなく、その間にいくつかのミッションがある。
仲間を助けるため、賞金のため、それぞれの目的があり、参加する人、しない人、選択もそれぞれだった。

母は、いつも率直だ。
「子どもはかわいい。最後までがんばって!」「やっぱり 運動部経験があると 根性あるね」などカテゴリーにおける一般的なイメージを素直に連想し、素直に発言する。そこに、私を含め父弟は反抗する、というのがいつものルーティーンである。
「いや運動部だからといって全員が根性があるわけではない」など、とその時も母vs3人の構図になっていた。
そして、決まって、母はしゅんとするが、次の日にはまた戻っている。
毎日毎日、こんなやり取りを繰り返す。
私は帰省のたび、ため息とともに帰っていくのだが、今回の帰省は少し違った。

両親におそわった結婚 誰かと誰かで一緒に頑張ること

いつものような議論の後、私と弟はいつものように愛想をつかしていた。すると、父と母がこう言っていた。

「母は変わっているよね。もうそういう人だからね。まあ 一緒に頑張っていこう」
「もうまた馬鹿にして」
「まあ俺も変わっているから。せめてもの一緒に頑張ろうだよ」

父は笑いながらさらりと言っていた。
何気ない会話だったけれど、私は この時、初めて結婚というものがわかった。

誰かと誰かで一緒にがんばること。
その姿の一つが結婚なのだと、両親からおそわった気がした。
「誰かと頑張ること」は、この世の中にたくさんあって、結婚は その中の体験の1つに過ぎないのかもしれない。

そう思うと、 「結婚」すれば「大丈夫」のパーツが埋まるのではなく、すでに「大丈夫」な自分を、さらに豊かにするオプションが「結婚」なだけなのかもしれない。

ふと隣を見ると、何食わぬ顔で弟がゲームをはじめていた。
その姿を見て、「私も一緒にやりたい」と自然と言葉が出ていた。
「結婚」でなくたって、誰かと一緒に頑張ることはできるし、大丈夫な自分だ。

帰りの新幹線の中で、家族との時間を思い返した。そういえば、誰よりも家族が、「ゆみちゃんなら大丈夫」と言ってくれるなと思った。これからは、自分をイメージつける言葉としてではなく、誰かを励ます「大丈夫」を使っていこうと思い、一緒に頑張ろうと 見知らぬ誰かに向けて そっとつぶやいた。

まあ、きっと大丈夫だよ。