人によってはキラキラ輝く美しい言葉。
でも私には、なんだか重く、どんよりした言葉だった。
私には「結婚したい」という前向きな気持ちが無かった。
なぜなら「結婚」って、どんより灰色、その先に「自分」や「自由」なんかないイメージ。
自分の中で、どうして「結婚」がこんなに曇ってしまったんだろう。
別に家庭環境に問題は無かった。
仲の良い両親と妹。父も母も妹も、私は大好き。
両親が喧嘩をしている場面なんて、実家にいた二十数年間、滅多に見たことが無かった。
だけど私が「結婚」に対して抱く気持ちはネガティブ。何故か?
「良い妻」で「良い母」だった母を、なんだかつまらないと思った
母は、祖母に女手一つで育てられた。父親という存在なしに育ってきた人だ。
でも母は、誰に教えられたわけでもないのに、夫を立てる「良い妻」で「良い母」だ。今でもそう。
「お父さんは一家の長なんやから」
「夕飯もお風呂も、なんでもお父さんが先よ」
「お父さんが帰ってきたら、ちゃんと「おかえりなさい」って言いなさい」
「お父さんの言うことに文句言わんの」
さらに母は、家の外では父の事を「主人」と呼び、父を立てた。
なんでもっと母は、自分のしたい事、言いたい事を父に言わないんだろう?もっと色んな事、不満もたくさんあるんじゃないの?もし私だったら、こんな風に、あんな風に、言い返すのに。
反抗期の気概も相まって、私は母をなんだかつまらない人だと思った。
そして、母をこんなつまらない「良い妻」「良い母」にしたのは、「結婚」なんだと思った。
私も「結婚」したら、母のようになるべきなのか。そんなの嫌だ。「結婚」なんてしたくない。
「彼が休んでも、私が養える」。そんな私に母は「羨ましい」と言った
大学生になって、彼氏ができた。
母は「結婚したら、苗字が○○さんになるん?」なんて言って浮かれていた。
無邪気にそう言う母の、「結婚」の言葉に、私は複雑な思いがした。
その彼についてちょっと書くと、とっても誠実で真面目で勉強が好き。あまり社交的ではないけれど、家族にとても優しく、今でも弟や親戚の子には毎年お年玉を渡し、両親には父の日と母の日に贈り物をする。
私はそんな彼の事を大好きで、交際は順調だった。
就職して2年間の遠距離恋愛も経験したが、何の問題もなく月日は過ぎ、私は彼の住む地へ移り、約1年の同棲ののち入籍した。
昨年、彼は心身に不調を来して仕事を辞めた。今も心と体を休めるために、日々をのんびりと過ごしている。
幸いなことに、彼は数年働かなくても生活できるくらいに貯金をしていたし、私は転職をして彼よりも年収が多くなり、二人分の生活費を賄っていけるくらいの収入がある。
「心身を不調にするくらいやったら、彼には頑張って働いてもらわんでもええし、私が養ってあげる(笑)。二人でのんびりやってくわ」なんて母に言ってみたら、
「ええね、そう言えるあんたが羨ましいわ。母さんには一人で食べていける生活力は無いし」と母は言った。
母が言った「羨ましい」という言葉。
もしかしたら、深い意味などなかったかもしれないけれど、私は考えた。
母にとっての「結婚」って何だったのか。
本当は石川県へ行って修業をし、友禅作家になりたかったと、母は幼い私に話してくれた。
もし母が人生をやり直すとしたら、同じように「結婚」をしただろうか、私を産んだだろうか、私に惜しみない愛を注ぎ育ててくれただろうか。母は「結婚」を後悔していないだろうか。
誰かの幸せな「結婚」は、私の「結婚」ではないのだから
ある時、私が母に「子供は欲しくない」という話をした。
すると母は私を抱きしめながら「えー!こんなに可愛いのに?」と言った。今は定年後に、父と一緒にどこを旅行しようか楽しみにしている母。
そっか。
私が嫌だと思った「結婚」は、「私から見た母の結婚」。
でも母は母で、きっと幸せな「結婚」だった。それが母の「結婚」。
私の「結婚」は、母の「結婚」に、他の誰かが幸せだと思った「結婚」にも、縛られる必要なんて無い。
世の中にはいろんな人の、幸せだった「結婚」、或いはそうじゃなかった「結婚」が溢れている。
でも結局それって、どれ一つをとっても「自分の結婚」ではない訳で。
何が本当に自分にとって幸せかなんて、はっきり言ってまだよく分からない。
でもこれから私は、母でもなく他の誰かでもない、自分自身が幸せだと思う「結婚」を作っていく。
そこに子供はいないかもしれない、献身的で家庭的な妻もいないかもしれない。でもそれで私が幸せなら、それが私の「結婚」。
今これを読んでくれいているあなたにも、あなただけの幸せな「結婚」がありますように。