物心付いてこの方、式場の横を通るたびに親指を隠しながら生きてきた。結婚とは女のみが人生の可能性を閉ざされまくる地獄の制度だと思っていた。
「結婚は墓場」という言い回しがあるが、それならば「結婚式は葬儀」なのではないかーそんな風に思いながら生きてきた。

幼い頃、花嫁になりたくなかった。成人しても婚姻届に白けていた

5歳、七夕の短冊に「お嫁さんになりたい」と書くクラスメイトの女を心底軽蔑した。

13歳、結婚せずに酒を飲みながら田んぼの畦道を歩いても許されるような大学に入ろうと心に決めた。

18歳、結婚せずに酒を飲みながら田んぼの畦道を歩いても許される大学に入学し、

24歳、嬉しそうに婚姻届を見せてくれる友人を前に私の気持ちは2つの理由から大きく白けていた。

理由の1つ目は相手の男が気持ち悪かったことである。彼は友人がトイレに立ったのを見計らって私に「おっぱい触っていい?」と聞いた。友人が、そのような人間と今後ずっと暮らしていくという事実に戦慄した。

2つ目は、紙ペラの何がありがたいか分からなかったことだ。
地方公務員試験を突破した一般市民が日々地道な労働に励むありきたりな行政機関でしかない区役所に紙ペラ一枚提出することがハッピーでロマンティックでフォーエバーなラブのエンゲージとして世の中から持て囃されることが、私には1ミリも理解出来なかった。

結婚理由のロマンティックでなさに、母は訝しげな顔をした

そして現在29歳、私は結婚している。

ー何故か?

普通に住むと140000円する東京のマンションに、会社の福利厚生によって45500円で住むことができるからである。浮いた金額を年間換算すると1134000円だ。5年なら5670000円、仮に定年まで勤め上げたとして39690000円。どちらかが自分の名字を変更するだけで、田舎でちょっとした家が建てられる位の金が浮く可能性があるということを5歳の私は知らなかった。

賞金1000万円の年末ジャンボ2等賞が当たる確率は500万分の1だとどこかで読んだことがある。つまり、4000万弱手に入れるためにはその確率を4回くぐり抜けなればいけない。でもそんなことしなくていい。私達は区役所に行くだけで良いのだ。

結婚することにした、と告げた私に、母は嬉しそうに「なんでそう決めたの?」と聞いてきた。ーいや、その方が家賃安くなるからさ。そう伝えたらとても不満そうな顔をされた。
ロマンティックではなかったからである。

因みに私の連れ合いも同じ質問に「転勤が回避しやすくなるからです」と答え不興を買っていた。ドラマティックではなかったからのようだ。

ーあのねお母さん、私には結婚式とかって、物品としての人間の受け渡しにしか見えないんだ。
ほら、花嫁だけが父親への手紙を読むでしょ、5歳のときの私が感じた違和感を大人になった私が言語化すると「家長から家長への財産の受け渡しがレースにくるまれて派手に演出されているのを見るみたいな気持ちになる」とでも言うのかな。
歯の浮くような誓いの台詞も全部詐欺師の口上みたいに感じるんだよ。芸能人になれると聞いてついて行ったらポルノに出演させられそうになるみたいなさ。
だから、間違ってもそういうものの中にいる自分のことを私は好きになれないんだよ。
女だからという理由で家事を全部やりながらフルタイムで働いて育ててくれたお母さんにこんなことは言えないけど。

そう、こんなこと言えないので私は「まあそういう世代だよ、この人はいい人だよ殴らないし」と答えて笑った。

異性同士だったら割引が効くルールなんて不公平じゃないですか

区役所からの帰り道、私達はスーパーに寄って7個で198円の玉ねぎを買った。
ほうれん草は170円までなら買うけれど、180円で売っていたら小松菜の方を買うことにしている。白いレースで飾られた幸せのイメージを土の付いた野菜で押し潰していく。青菜の新鮮な青、じゃがいもの皮の土、人参のオレンジの汁、排水口ネットの茶色、私は花嫁ではない。


子供の頃の夢は「14畳のワンルームを自力で買って猫と暮らすこと」だった。結婚するということは、死んだように暮らすことだと思っていた。でもこの世も捨てたものではない。
3歩下がって後ろを歩くことも追従笑いで意見を言わないことも嫌でできない私のことを「好ましい」と思ってくれる人も、いるところにはいるのだ。

年明けから菜の花が野菜コーナーに並ぶ。私はこの菜の花を茹でて刻んで、卵そぼろと一緒に白だしで炊いたご飯に混ぜ込んで食べるのが好きだ。美味しいものは、好きな誰かと食べたほうが絶対に幸せになれる。5歳の私もそれについては納得してくれる筈だ。

レースに包まれた花嫁になることを拒否した私は、そういう私といることを選択した人間と毎日飯を食って暮らしている。
「大学院に行ってみたいなあ」と言う私に、「よう調べて頑張ってみたらええやん」と言ってくれるような、そんな人間と。

ー結婚をどう思うか…ですか?

…そうですね、平穏な毎日を無限に積み重ねていくための家賃減額ツールですかね。
だから早く同性婚も実現した方がいいと思うんですよ。だって、異性同士だったら割引が効くルールなんて不公平じゃないですか。
イメージの話は各々好きにしたらいいと思いますけど、生活するのに割引が受けられる人と受けられない人がいるのはだめだと思います。携帯会社が家族構成で割引を適用するかどうか決めてきたら最悪じゃないですか?弟がいたら割引で妹だったら定価だとか言われたら怒っちゃいますよ。

ー幸せか?…ですか?

ええ、今日の夕ご飯は唐揚げなんですよ。