繊細ゆえに感情的な父の下、顔色を伺いながら暮らしてきた

私の父は、心配性な人だ。
ランドセルを背負っていた頃の私は、どこに行くにもPHSとぬいぐるみ型の防犯ブザーを持たされていた。
「お前を守るおまもりなんだよ」
父は常々そう言っていた。

私の父は、博識な人だ。
空が青い理由。熱が伝わる原理。ロマン主義を代表する絵画。雑多のように見えてすべて意味があるパソコンの内部部品。
どれもこれも、教科書より先に父が教えてくれた。
お小遣いはほとんど無かった代わりに、漫画以外の読みたい本はなんでも買ってくれた。

私の父は、厳格な人だ。
夕方には帰宅すること。晩御飯は家族全員で食べること。父の休日は必ず家にいること。
これらは、私が高校生になってもほとんど変わらない不文律だった。
中学生の頃から、GPS機能付きの携帯電話を持たされ、いつでもどこでも監視されるようになった。このしがらみは、社会人になって実家を出るまで続いた。

私の父は、繊細な人だ。
言いつけを守らなかったとき。成績が思うように伸びなかったとき。父の期待に沿えなかったとき。
父は毎日のように怒鳴り、家にあるいろいろなものを、大きな音をたてながら叩き割った。
思春期の私は、頭上から降ってくる罵声を聞きながら、「こんな大人にだけはなるまい」と何度も固く誓った。

父は繊細ゆえに、感情的になることが多かった。それが愛情の裏返しだということも気づいていた。
それでも夜は眠れなくなったし、怒鳴られる夢で飛び起きたことも、訳もなく急に涙があふれることも、何度もあった。
父の理想になれない自分を歯がゆくも思ったし、すべて言いなりの自分が惨めで仕方なくもなった。
私は、父が言う通りのダメな人間なのだ。父からの歪んだ愛情は、私にいつもそう語りかけた。
父の機嫌を損なわないように細心の注意を払いながら過ごしていたら、いつの間にか私は、いつでも人の顔色を伺う人間に育った。

私の中に存在していた父の一面に気づき、涙したあの日

そんな私も大人になって、一人暮らしをはじめ、彼氏もできた。
誕生日、彼に連れて行ってもらった旅行先の宿で、お酒を飲みながら二人でいろいろな話をした。
ひょんなことで彼から放たれた私をなじるような言葉が、私の心を捉え、かき乱した。
頭が真っ白になって、その場で立ち上がり、驚く彼を怒鳴りつけ、横にあったゴミ箱を蹴り飛ばし、泣きながら部屋を飛び出した。

幸いにも、私よりはるかに人生経験が豊富な彼は、冷静に私を連れ戻し、冷たい水を飲ませ、落ち着いた私を温かい湯船に誘導してくれた。

湯船につかり、お酒がさめてきた私は、自分自身に絶望した。自分でもどうしてあんなに頭に血が上ったのか分からなかった。
ただひとつ明確なことは、大嫌いだった父の一面は、私の中にも存在していたということだ。
「あんな人にはなりたくない」と散々思っていた父とそっくりな自分に気づいてしまったことが悲しくて、感情的になったことが申し訳なくて、大好きな彼にその姿を見られたことが恥ずかしくて、泣きながら何度も何度も彼に謝った。

そんな私を眺めながら、彼は優しく微笑んだ。どことなく楽しそうにも見えた。
「でも、そのすべてが君だよ」
彼は泣きじゃくる私の頭を撫でながらそう言った。
その言葉が、ささくれだった心にじわじわと広がった。

あれ、そうか。これは全部私なのか。
すとん、と腹落ちした。
それは諦めにも似た感情だったが、なぜか心地よかった。

彼の言葉は、私の絡まった感情をひとつひとつほぐしていった

人の顔色を伺うことは、それぞれの人の気持ちに寄り添っているということ。
なじる言葉に冷静でいられなかったのは、繊細で感受性豊かだということ。
怒鳴り散らすことは良くないことだと経験から分かっているからこそ、すぐに反省して謝ることができたこと。

私自身がきらいな私のことを、彼はひとつひとつ丁寧に変換してくれた。
ずっと蓋をしていた、自分のいちばん奥深くで絡まっていた感情が、ひも解かれていく気分だった。

「全部が君だから、それを全部受け止めて、愛してあげればいいんだよ」
愛してあげるのか。そうか。
完璧じゃない、父の理想とは程遠い、嫌いなところもたくさんある私だけど。
ずっと胸につかえていた父への複雑な思いが、はじめて消化できた気がした。

今度実家に帰ったら、父とゆっくり話をしよう。
自分を認め、愛してあげるという行為を通して、父の理想通りにはなれなかった私も、親元を離れてもちゃんと生きていますと伝えたい。
そして、与えてくれたことに対する感謝を言葉で述べたい。

父との間のわだかまりは、きっとすぐには消えないのだろう。
それに、長年嫌いだった自分の短所を、そんなにすぐに受け止めることはできない。
それでも、彼からもらった一言で、私は少しずつ自分を愛せそうだ。