10代の最後の歳。私はすごくすごく片想いをした人と恋をした。
いつもギターを背負って、黒かカーキか白のシャツを着て、静かに笑うあの人を見て、いつか隣を歩きたいと心から思った。
付き合ってからも、ふと街を歩いているときに、ショーウィンドウや自動ドアのガラスに私たちの姿が映ったら不思議な気持ちになってしまうぐらい、私はあの人が好きだった。
365日24時間ずっと恋をして 全てがキラキラしていた
いや、あの人を好きな私が好きだったんだ。
365日24時間ずっと、目が覚めてから眠りにつくまで、何を見ても何をしてても何を食べてもずっと恋をしていた。
一緒にいない時間は恋しくて何もかも共有したくて知りたくて、いいこともあったし、よくないこともあったけれど全てがキラキラしていた。
発売日の0時になると同時にコンビニに駆け込んで買った新作のアイスや、夏に行ったお祭り、二人乗りした自転車、熱を出した時に作ってくれた野菜煮込み、夜中の公園の線香花火。誕生日にプレゼントした飴色のアコギ。雨の中の最初のキスも最後のキスも。
何もかもが、触ると火花が散るみたいにキラキラしていた。
男性というものを知らなくて、親という檻の中から飛び出して、世界の全てが新鮮だった若い私にとっては、きっと何もかもが煌めいて見えていたんだと思う。
就職の季節になって、私は当たり前に自分のやりたいことは何かを自問した。世間に試されて、大いに苦しんで、そうして自分を見つめてやっと、春から落ち着く場所を探し当てた。
うっかりしていたけれど、そこにあの人の存在はなかった。あの人と一緒にこれからの一生を過ごす前提で私は就職活動をしなかったのだ。
冷めていたからではない、嫌いになったからではない。ただ本当にうっかりしていた。私にとって、あの人と過ごした時間の煌めきは、これからの人生という現実と、同じ次元を走っていなかった。
あの人もまたそうだった。そうしてお互いがお互いのためだけに就職活動をして、当然に道が分かれて、そこで仕方なく別れた。
ありがとう、頑張ってね、楽しかったよ。そんなことを言って。
そうして月日が経っていって、私は仕事の過酷さと、周りの結婚ラッシュと、幾つかの不毛で虚しい恋愛によって、記憶操作をしてしまった。
あんなにキラキラしていた時間があったんだ。
あの人と結婚していたらどうなっていただろう。
あの人と結婚しておけばよかった。
そんな風に、私は自分の決めたことを棚に上げてあの人と過ごした時間をどんどん美化していった。
いいこともあったし、よくないこともあったのに。いいことだけを、楽しかった思い出だけを、毎日記憶のガラス棚の中から取り出して、並べて、柔らかい布で丁寧に磨いた。
あの人というフィルターを通して、少女から大人になっただけだった
いつも新しい恋愛が上手くいかないたびに、あの人だったらこう言っただろう、こうしただろうと、思い出の中の綺麗な記憶に盾になってもらって自分を正当化した。
本当はそんなに愛していなかったくせに。
恋をしていただけだったくせに。
本当は自分が大事だったくせに。
毎日一緒にいたし、何をするときも恋をしていたけれど、あの人というフィルターを通して、わたしは少女から大人になっただけだった。
結局やりたいことは全部全部、自分が決めたことだった。
あの人と一緒にいた時間は、確かに好きなことをして、楽しくて、自分が自分でいられた時間だった。
けれど人生が進んでいく中で、道がずれてしまった。2人がこれからも一緒にいるためには何かを変えないとならない、どちらかが痛い思いをして自分らしさを諦めなければならない、という現実を突きつけられた時、私はほんの数秒も悩まずに、それをあっさりと捨てた。
それよりもあの人と一緒に過ごしたことでさらに自分らしくなった自分を愛していたし、それがこの恋愛の結果として得られたことについて、感謝していたのだ。
そうだ、あの時はちゃんと感謝していた。ちゃんと感謝して、ガラス棚に入れて、鍵をかけて、私は別の場所に行ったのだ。
生きづらさの言い訳にあのキラキラした塊を選び続けた
あの人を好きな自分を好きだった、あの人と一緒にいる自分が好きだった。ショーウィンドウに映る2人が好きだった。その記憶は甘くてキラキラした塊だった。
2人が一緒に過ごした時間の長さに甘えて、大人になった自分が、生きづらさの言い訳にあのキラキラした塊を選び続けたこと。謝らなければならないと今はとても思う。
同時に感謝したいと思う。人生で一番ベストなタイミングであなたと恋をすることができたから、私はこれからも私らしく生きていける。ありがとう、月並みだけれど、届くことはないけれど、心から伝えたい言葉だ。