私が中学生だったある日、私のひどい点数のテストの結果を母親が見たそのある日、母がポツリと私に漏らした一言がある。

「なんであんただけ、こんなんなんやろ」

この言葉は28歳になった今も私を苦しめる。
辛いことがあって夜寝られない時、仕事がうまくいかない時、失恋した時、
それらの感情にプラスしてさらに悲しみを増幅させてしまう。

「私は何にもできないからこんな人間だから、私の人生はうまくいかないんだ。」

私には兄が二人いて一人は年子だった。
私が中学校に入学し、二番目の兄と私は同時期に同じ中学校に通っていた。
小学生の頃は気づかなかったが中学生になると私の兄は目立つ存在になり、なにやら周りからイケメンと言われるようになっていた。

中学生になると途端に比較されるようになった。顔が似てないからだった。
会ったことのない兄の同級生に、本当に血繋がってるの?と急に大きな声で聞かれた。
苦笑いだけして、何も言い返せなかった。今思うと最低すぎる一言。だが、中学生の一言だ。
なにを言えば他人を傷つけてしまうかなんて、まだまだわからない年頃だったと思うから
大人になった今は気にしていない。
それでも、この一言は私を何年も悩ませ、もしかして私は養子なんじゃないかと思い、両親を疑いの目で見ていたことがあった。

兄と比べ成績の悪い私にイライラを隠せない母。口をついた言葉が・・・

 ここ数年で、スッピンの顔が急激に母親に似てきた。マイペースで人付き合いの悪いところは父親に驚くほど似ている。
こんな心配は今考えると本当にバカバカしくてなにも知らない他人の一言に悩むなんて時間の無駄だと思えるようになった。

ただ、私は兄に比べて成績も悪かった。
勉強は苦手だった。面白さもわからないし、答えを間違えると怒られてしまうものだと思ってビクビクしていたら、ひたすら勉強からは避けるようになっていた。中学生になり勉強がますます嫌いになった。

他人は私の成績を知らないから顔ばかりを比較したが親は当然違った。
母は私の成績の悪さにイライラを隠せずにいた。
それがこの一言、「なんであんただけ、こんなんなんやろ」だった。

だけどこの一言は成績のことだけを言っているのではないとわかった。
総合的にみて、明らかに私になんの才も見受けられなくて嘆いた一言だ。
”こんなん”という部分が確実にそう物語っていると、言われた瞬間にそう意味を捉えた。

大人になっても情けないくらい忘れられない、呪縛のような言葉だけど

他人の一言もきついけど、親の一言はずっと心の中に残り、自尊心、自己肯定感なんてものは中学生の時にズタズタになった。
そこから、今大人になっても、情けないくらいに忘れられず、うまくいかないことがあるたびにその一言を思い出し、自分のことがまた嫌になるという悪循環に陥る。
誰にも打ち明けられず、一人で苦しんできた、呪縛のような言葉だ。

だけど私にとって母は最高の母であることも確かだ。
母親としてたくさんの愛を与えてくれたし、いつまでも色んなことに挑戦する人で
一人の人間としても尊敬している。母の話には必ずオチがある。
大人になってから話すと面白くて、私は母の話にいつも爆笑している。
なかなか面白いオカンだと思っている。

母も悩んでいたんだと、親も常に完璧でいられないということに、当時の母の年齢に少しずつ近づいていくたび気付いていく。
それに私もたくさん反抗してきて、きっと母を傷つけたことがあったと思う。

母のあの日の漏らした一言は、私を落ち込ませる言葉でもある一方、負けてたまるか、と大人になった私を奮起させる言葉でもあると思うようになってきた。
母はきっと覚えていないかもしれないけど、いつかきっとこのことを笑い話にできるくらいに私は幸せにならなきゃいけないんだ、ってそう思う。