中学1年の時、私は人生最初にして最大の挫折にぶち当たった。受験して入った進学校で勉強についていけなくなり、精神を持ち崩したのである。
毎日大量に課される宿題、削られていく睡眠時間。
それだけ苦労をしても、テストの成績は中の下程度。私のプライドはあっという間にズタボロになった。7月の終わり、とうとう限界が訪れ玄関から一歩も動けなくなった。
長い夏休みの始まりだった。

このまま学校に行けないままでいいのか。友達は私のことをどう思うだろうか。
夜眠ろうとして目を閉じると、昼間は抑え込んでいる不安が大挙して胸に押し寄せてきた。私のせいで両親にも、兄にも迷惑をかけている。
折角受験を応援してもらったのに、折角一緒に頑張ってくれたのに、何もかも全部裏切ってしまった。後悔と罪悪感で涙が出た。毎晩それで泣いていた。

そんな中、私達家族に引っ越しの話が持ち上がった。県内の中心部に近い場所で中古のマンションを購入し、今いるアパートからそこへ移り住む。近隣の治安も悪くない。そこから通える中学校なら、私も学校生活をやり直せるだろう……両親の立てた計画を知って、私は顔面蒼白になった。

私のために引っ越し?これ以上お荷物になりたくない!と思ったけれど

引っ越す!?マンションを買って!?私のために!?嫌だ!無理無理絶対無理!そんなにお金も手間もかけてもらったって、私何もできない! これ以上皆のお荷物になりたくない!
後ろ向きな思考で頭が一杯の私は、不動産屋の内見に行くのを拒んだ。

母は心底驚いていた。何故いきなりそんなことを言い出すのか分からない。そんな困惑が顔に見て取れた。
私の自己嫌悪が深さを増す。ああ、また困らせてしまった。ごめんなさいお母さん、全部私が悪いです生まれてきてすみません……部屋に閉じこもり布団にくるまって泣いた。
そうして涙がすっかり枯れた頃、母がドアの前にやってきて、静かに一言こう言ったのだ。
「あなたのためだけに引っ越す訳じゃないからね」
それを聞いた瞬間、私の頭を埋めていた霧が不意に晴れた。
そうか。そりゃあそうだ。よく考えれば当たり前のことだ。急に冷静になった。

県の中心部なら、兄の高校の近くである。通学が楽になるに違いない。
買い物の出来る場所も増えるから、母もきっと助かるだろう。
父も今より広い所に住みたいと以前から言っていた。
ちゃんと全員にメリットがある。これは皆がそれに賛成した上での結論で、私一人の都合だけで決まる話ではない。
「そうか。みんな私のためだけに生きてる訳じゃないんだ」
そのことに思い至った時、少しだけ前を向けるようになった。数カ月後に無事引っ越しは終わった。

天狗になるのも落ち込むのも、同じくらい傲慢なことかもしれない

一見突き放した台詞にも聞こえる母の一言が、ネガティブで膨らんだ私の自意識に針で小さな穴を開け、元の大きさに戻してくれたのだ。
世の中の多くの出来事は、絵本の物語のように単純明快には運ばない。大きな成功も失敗も、その裏には沢山の人の行動や思惑が積み重なっているはずだ。
一人一人の人間は、そのパズルのピースの一つに過ぎない。
「何もかも全部誰か一人のせい」「何もかも全部誰か一人のお陰」そんな分かりやすい因果関係で説明できる状況は、現実にはとても少ないのではないだろうか。
「全部自分のお陰」と天狗になるのも、「全部自分のせいだ」と落ち込むのも、方向性が違うだけで、実はどちらも同じくらい傲慢なことなのかもしれない。この出来事以来、私はそう考えている。

上手く行かない時。人に迷惑をかけてしまった時。「もうダメだ。全部私のせいだ」と思う時。いつも自分に問いかける。
「落ち着け。冷静になれ。お前は本当に誰かにそう言われたのか? 勝手に一人で思い込んでいるだけじゃないか?」
私の頭を冷やす大事なおまじない。母からもらった魔法の言葉は、今日の私を生きやすくしている。