過去の自分、それは丁度五年前、高校2年生の夏頃。
周りが初めての彼氏で浮き足立っているのとは裏腹に母に愛されていない寂しさと暇な時間を抱えていた時期。
「処女」から一刻も早く脱すべく、マッチングアプリで出会った
人生初の「マッチングアプリ」(当時流行りのTから始まるアプリ)をダウンロード。
女子高出身者なら、少しは理解してくださるであろう「処女」の呪いから一刻も早く脱すべく、運命のキスをしてくれる王子様に出会わないといけなかかった16歳の私は、もう、本当に、超絶、適当に選んだ(なので初体験の人の顔も名前も記憶にございません)。
そして、王子様との約束の日、当日。ドクドクと高鳴る胸を押し込めて待っていると、そこに現れたのは、白T、ジーパン、メガネの男だった。「どちら様ですか」と思いつつもお花畑な思考回路では太刀打ちできず、結果「王子様の使用人が自転車でお迎えにきてくれたんだ。」と結論づけることで、仮解決を即すも、衝撃的な出会いに。
そこからの記憶はほぼなく、出会って秒で始まる前戯なしの初体験。
気持ちいいも、気もち悪いもなかったが、処女の呪いにかかるも、NO出血という事に、二度目の衝撃を受ける。
初体験の極め付けには、偽王子からの「もっと気持ちよくなれるよ」という言葉と共に感じた嫌悪。言葉が耳に届くのと同時に、私の首にさしかけられた細い指の感触と圧迫感が未だに肌にこびりついて離れないことは誰にも言えない秘密だったりする(三度目の衝撃)。
しっかり自分に謝って、叱って、めいっぱい抱きしめてあげたい
そんな、こんなで、何度も同じ事を繰り返すこと数年。
「体を重ねたところで、何も失うものはないから。したいから、してるだけ。」と豪語していた私も成長し、今では、好きでもない男と体を重ねるほど、心が磨り減っていき、自信が無くなっていく、というごくごく当たり前の事に気づき、無事アプラー(親友命名のあだ名)は卒業しているも、やはり、しっかり自分に謝って、叱って、めいっぱい抱きしめてあげたいと今現在、強く深く思う。
たとえ、愛情がもらいたい相手から、思ったような”答え”が返ってこなくても、その時は、メルカリで注文した参考書が、配送ミスでエロ本に差し替えられていたのと同じだと思えばいい。だって、そうすれば、最高にくだらなくて笑えてくるから。人生は結構な割合で笑ったもん勝ち。
私がどうしたいか、私がどう生きていきたいか
他人に気を遣うことも大切だけど、そんな事よりも、何よりも大切なのは私自身なのだ。
私がどうしたいか、私がどう生きていきたいか。
勿論、人の為に生きることは悪いことではない、優しい証拠。
だけど、それは所詮「偽」(にんべんに為)の人生を生きていることになりそうで、少し怖くも感じる。
結局、人は一人で生きていかなきゃいけないし、死ぬときは一人で魂の旅にでなければいけない。だからこそ、一層この瞬間を大切に生きて、過去の自分も今の自分も愛して生きたいと願ってしまう。
私以外に、私を一番理解して、大切にできて、愛してあげられる人っていない。
私が私の一番の味方なのだ。
だから、どうか許してね、5年前のワタシ、心をいっぱい傷つけて、嫌いになって。
愛してあげられなくて、ごめんね。でもね、今なら自信をもって言えるよ。
どんな私も大好きだよ、ワタシ。