2021年で30歳になる。結婚はしてもいいし、しなくてもいいと思っている。恋人はいるが、結婚するつもりはないそうだ。もし関係性を変えるなら話し合うか、別の人を探せばいい。私はそんなゆる~い人間だ。
シニア女性向け媒体の読者と同じ、深刻な悩みを持つ人間はすぐそばに
仕事は、シニア女性向け媒体の編集者をしている。この仕事柄、結婚に対する価値観のジェネレーションギャップは痛いほど感じてきた。読者からの投稿で多いのは「子どもが結婚しない」という悩みだ。
深刻な悩みなのだろう。月に1回は、この言葉を見る。同じ悩みを持つ人間は身近にもいる。
そう、母だ。
2年ほど前に、「大学時代の友人とランチしたら、息子くんが結婚していないって悩んでいたの。会ってみない?」と聞かれた。断る理由もないので承諾。私の顔写真を先方に送付したが、予定は一向に決まらなかった。その3か月後、息子くんから「恋人が妊娠したから結婚する」と報告があったそうだ。
母には「友人もショックだったみたい。傷つける結果になって申し訳ない気持ちでいっぱいです」と、さも私が振られたみたいなフォローをされた。
また別の日は、私の運勢を占ってきたと伝えられた。「結婚は難しいかもしれないって言われた。でも来年は運気がいいみたい!」とウキウキしていた。
また、ある日は「税理士さんの息子さんとお見合いしない? 経歴の書類、写真を用意してね。自分で決めたいならそれもありだけど、一生周りにおばさんばかりの人生になるかもね。好きな人がいて忘れられないなら、見合いはやめた方がお互いのため。傷つくのを恐れるなら仕方がないかな。私なんて鈍感力半端なかったかも。振られたことは数あれど、振ったこともたくさんあるもんね」
とモテ自慢付きでLINEが送られてきた。なぜかまた私が振られた設定になっているのが気になったが、面倒で「嫌だ」と断った。
なだめる言葉を考えても反論され、どうにも逃げられなくなってきた
それ以降も、「高望みアラフォー女性が婚活で惨敗」「40歳で結婚した女性が最後に残した条件」という婚活コラムが送られてきたりと「結婚しろ」攻撃は止まない。いい加減にイライラして、母親をなだめるための文言を考えた。
「日本の平均初婚年齢は、女性は29.6歳、男性は31.2歳だよ? 20代後半の未婚率は60%超えているし」
国の統計をもとに、28歳では結婚していないことは世のスタンダードだと伝えてみたが、母には「どうでもいい」と言われてしまった。
「私も結婚については、どうでもいいと思っている」と伝えたが、それが火に油を注いだ。
「結婚しない覚悟、了解です。一人で生きていきたまえ。墓はあるから困らないね。日当たりがよくてキレイで、丈夫な墓石だから。独り身でも強ーく生きて、後で子どもを産めばよかったと思わない自信があれば自分を貫いて生きてください」と、嫌みを言われる始末。
「結婚しない=一人で生きていくこと ではない」と反論したが、「あと2人孫がほしかった」と言われた。
どうにもこうにも逃れられなくなってきたので、考えてみた。
「子どもが結婚しないこと」に対して、何を恐れているのだろうか。子どもが独立してもなお、結婚しない限り自分の役割が終わらないと思っているのか。
母親のことを同級生に話したら、彼女も同じような悩みを抱えていた。トップの私大に進学、やりたかった仕事に就き立派に働いている子だが、母親には「結婚できないのは、私の育て方が間違っていたからだ」と言われたそうだ。
「将来の安心駅」行きの人生のレールから外れると、不安でたまらない
そうか、これは「結婚教」だ。
彼女たちは「結婚教」に強制的に入信させられて、名前を変えられ、たとえ夫婦関係がしんどくても、たとえジェンダーロールに苦しんでも、その教えを守り抜いてきた人間たちなのだ。
そんな彼女たちの最大の成果は「子ども」だ。だから子どもも「結婚教」の教えを守ってくれない限り、幸せになれないと信じている。結婚しないと「将来の安心駅」行きの人生のレールから外れてしまうと、不安でたまらないのだ。
しかし、私自身、婚姻制度自体にそもそもメリットを感じていない。その上、異性の男女が一対になって永続性のある関係を結ぶという型にはまることも、それに伴う建前、家と家という関係性の構築には息苦しさすら感じる。
「結婚教」に苦しんでいるのは、男性だって同じだろう。「男性が女性を幸せにしないと」「クレヨンしんちゃんのような戸建て持ちで子ども2人と専業主婦、犬を養う家庭は、金のない自分には築けない」と義務感にさいなまれ、自己否定を繰り返す人は多い。
母が子育てを始めた年齢に。母が味わったことがない経験を重ねている
私も幼い頃は、母と同じ「26歳」で結婚すると当然のように思っていた。
実際は26歳で何をしていたかというと、友人と2人でニュージーランドへ旅行をしていた。羊しかいない大草原をレンタカーで駆け抜けていた。まさか海外で運転をしているなんて、想像すらしていなかった。
やりがいのある仕事とよい友人にも恵まれたおかげで、世界には多様な楽しさがあることを感じている。すでに母が子育てを経験し始めた年齢になったが、私は私で母が味わったことがない経験を重ねている。
幸せを感じる対象は、人によって違う。「結婚教」を押し付けてくる人はきっと、”自分”が何に幸せを感じるか、”自分”がどうありたいのか、自分の心に向き合っていないのではないか。
人生の主役が「自分」だったら、悩みの主語が「大人になった子ども」だなんてあり得ない。主語を他者に置き換える人生は、ご本人のためにもならない。
もちろん母が一生懸命、私や家族のために尽くしてきたのは痛いほどわかっている。両親のおかげで今の職と状況があるのも。
感謝しているからこそ母には、残りの人生の花道をどう歩くかに目を向けてほしいと心から願っている。