「バリキャリの子と結婚したい」という男子が増加している
「俺、バリキャリの子と結婚したい。」結婚適齢期が今にも過ぎ去らんとする28歳のOLの私の周りには、そんな事を言う男性が意外と多い。女性のキャリアも尊重してくれる、現代的で素敵な男性が増えてきた、最初はそう思っていた。周りの「バリキャリ」女子達も、20代後半から急にモテだした様子。
「丸の内にオフィスを構える上場企業の総合職」という肩書の私は、一般的にはバリキャリに分類されると思う。私自身では、自分をバリキャリと認識できるほど、キャリアを積み上げてやろう、のし上がってやろうなんてやる気も根気もない。華麗に勝ち上がっていくのは難しくても、惨めに負けて取り残されないように、その程度で生きている。それでも仕事をしている自分を誇らしく思うし、キャリアもプライベートも平等に大切にしていきたい。そんな私を求めてくれる素敵な男性がいるなんて。
ところが、その理由をよく聞いてみると……
ある一人の「バリキャリ」と結婚したい男友達に話を聞いてみた。彼は本当に一生懸命、女性がキャリアを大切にすることの重要性を説いていた。けれど、よくよく話を聞いてみると「愛されキャラの可愛い女子に、愛・お金・時間を目いっぱいつぎ込んで、その見返りとして可愛さ・若さを享受する。その繰り返しは飽きた。仕事も波に乗ってきた中で一方的に愛は注げない、将来を考えるとお金・時間にも限りがある」
そんな時、愛されキャラの可愛い女子と対角線にいるらしい、「バリキャリ」に興味を持ったらしい。「自分のやりたい事があって貪欲にキャリアに積み重ねている、自立した女性だから、愛と関心はある程度注げばいい」さらに、結婚を視野に入れているから、経済力もある女性を探しているとのことだった。一生懸命話を聞いたけど、彼の話には違和感しか残らなかった。
「バリキャリ」が求めるもの、そうでない人が求めるもの、本質は同じ?
私にはやる気も根気もないけれど、それなりに仕事を続けていくために一生懸命働いて、胃がきりきりする時だってある。女の子だからという理由で除け者にされないように、軽い自虐で飲み会を盛り上げて傷つくことも多い。
どうしてその場の雰囲気を盛り上げるためだけに、自分を殺して、自分を傷つけてしまったのだろう。飲み会の帰りはいつだって一人反省会になる。自虐を笑ってくれた上司は、私の傷ついた心までは評価してくれないのに、自分を大切に出来るのは自分だけなのに。
そんなことを仕事を続けるのは、「キャリア」を求めているからじゃない。仕事を通して自分自身に関心を持ってもらえることが嬉しかったから。自分に対する他者の関心を通して、自分の存在を肯定し、安心する事が出来たから。愛の反対語は無関心という言葉があるが、私は仕事をすることで他者からの関心を引き出し、愛されている心地よさを得ているのだ。
「キャリア」を求めない私が、他の人から見れば「バリキャリ」の道を歩むのは、愛と関心が欲しいからだ。
今まで付き合ってきた、愛されキャラの可愛い女子達が、男性からの愛と関心を糧にしているのであれば、「バリキャリ」に見える私は他者・社会からの愛と関心を糧にしていた。どちらも本質は変わらない。長い二日酔いの様にのしかかる、「愛されたい」「求められたい」という呪縛は、どんな女子にも少しづつ配合されているんだ。
「バリキャリ」だから、女性として愛する事、関心を注ぐことをおろそかにしていいなんて思わないでほしい。モテ期を謳歌できないのは惜しいけれど、もう「バリキャリと結婚したい」なんて言う男性とはおさらばしましょう。