当時18歳だった私は無事大学に合格した。勉強したし、運もあったのだろう。

しかし、大学受験でのあの言葉が私のターニングポイントだったと、10年経った今でも思いだす。

生物担当の男性教員が、精子の絵をやけに上手に黒板に書いて、女子校の教室がざわめいたことだけが頭にこびりついている。

そいつに呼び出された賢い友人が、目を赤くして教室に戻ってきた。
「あなたと一緒にいるから、私の成績が落ちているって言われた」

出たのは乾いた笑いだった。

学校に求められた彼女は高校を辞め、敵の私は皆勤賞をとった

高校受験に失敗してからというもの、日々の夜更かしがたたり、授業中は睡眠にあてる日々。もちろん赤点ばかり取っていた。軽音楽部という、端から見ればチャラい部活に入っていたのも要因の一つかもしれない。進学校からすれば落ちこぼれに値する。そんなテイドの低い私と一緒にいることは悪だと、学校側から敵認定をされたわけだ。学校に求められた彼女は高校を辞め、敵の私は皆勤賞をとった。学校にとっては逆がよかっただろう。

生徒手帳の写真はこの世を憎んだ殺人犯のような顔。小学生の頃は、朗らかで天使などと言われていた私もこの通り数年後には悪魔だ。悪魔なので、親にも当たった。何を言われてもムカついたので教科書を投げつけた。いつも言うことを聞いて、優しい私を好きだった母が「どうしたらいいかわからない」と号泣していたのを覚えている。こっちのセリフだバーカ。生徒からのいじめなどはなかったが、私といると「自分はまだここまでじゃない」と安心するツールとして小馬鹿にされた。いくら進学校とはいえ、こいつらは大半が受験に失敗した負け組。私を見て安心するんじゃねえよ。私はしっかりと捻くれ者になった。

私の成績じゃもちろんE判定の大学を、平気で言ってのけた

とうとう母は私を改心しようと、未来を見せた。大学受験だ。私は予備校へと連れて行かれた。

予備校の先生は開口一番「志望大学はあるの?」と聞いた。
大学なんてよくわからない。でも、とにかく私を縛る何かから解放されたかった。新宿と渋谷にはタワーレコードがある。大好きなC Dをいつでも買いに行ける場所の近くに自分を置きたい。それだけの理由で、私の成績じゃもちろんE判定の大学を、平気で言ってのけた。母は「マジか」と少し強張った顔をした。じゃあ連れてくんな。

「いけるよ、今からやれば」

私は口をぽかんとした。出会って5分と経っていない人が私を根拠なく励ましている。

予備校だから「できない」なんて言ったらそれで終わりだ。そりゃ一種のリップサービスのようなもの。でも、そんなリップサービスすらもらっていなかった私には先生が光って見えた。宗教にハマるのはこういうタイミングなのだろうな。

誰かを救う言葉って、割と単純だったりする。
それから先生はこんなことを言った。
「そのためには勉強はもちろんですけど、ポジティブになってください」
かなり刺さった。

あの時、根拠なく先生を信じて、自分を信じてよかった

私はとにかくネガティブだ。ネガディブであることが一種のアイデンティティと言っても過言ではない。でも、根拠なく励まされた私は、根拠なく信じようと思った。根拠はないが、毎日鏡を見ては、「お前はできる」と言い聞かせた。

こっそり予備校で勉強して、それがバレて、同じ高校の知人が噂を立てたりなどした。
「あんなにバカなのに、志望大高すぎだろ」

ポジティブになってもうまくいかなくて、腹いせに放火事件を起こしたら、真っ先にあの生徒手帳の写真の顔がテレビに映し出されるのだろう。それは嫌だなと思った。今までの私なら「わかる~」とか言ってヘラヘラして、すぐしんどくなってたはず。毎日毎日ポジティブなことを無理やり考えているとこうも生きやすくなるのか。あの時、根拠なく先生を信じて、自分を信じてよかった。無事第一志望校に合格できた。

誰からも信頼されないと嘆くな。まずは自分が自分を信じろ。何かあるたび、私は根拠なく、自分を励ます。