誰が友達は同性じゃないといけない。なんてルールを作ったのだろうか。
誰がお母さんは女性じゃないといけないと言ったのだろうか。
一体いつから相手の名称をはっきりさせなければならなくなったのだろうか。

彼は「しばらくうちにいたらいいじゃん」と言った

彼と初めて会ったのは世間一般でいうナンパにあたるのだろう。
「旅行中なのですが、僕たちと遊びませんか?」とSNSを通して私にメッセージを送ってきたことから始まった。
普段はそんなものには乗ることは無いけれど、なぜかその時だけは話がとんとん拍子に進み、翌日彼と私、お互いの友人含め合計5名でドライブに行くことになり、初めましてとは思えない程の盛り上がりに楽しい1日を終えた。

一度出会った仲間と仲良くなって、連絡先を交換して後一生会うことはなかった。なんてことはよくある話だ。
電車で8時間、距離にして600km。
私たちの現実的な距離は想像以上に遠く、もうしばらく会うことはないのだろうと思っていた。
ところが初めて会って1週間後には次の予定の話が上がり、1ヶ月後に彼らの住む場所で再度集まることになった。

初めての場所、楽しい時間。
思わず「帰りたくないな」とこぼした私に「しばらくうちにいたらいいじゃん」と言った。
当時時間に余裕があった私は二つ返事で何も深く考えず、「じゃあ気が向いたら帰るね」とだけ返した。
その日から、私と彼との生活が始まった。

彼は私たちを"友達以上、家族未満"と表した

本当に不思議な時間だった。
特に何もしなかった。
毎日一緒に起きて、一緒にご飯を食べて、芸術家である彼の仕事を手伝ってみたり、手伝えない日には家で家事をしてみたり。
少し時間がある日には2人で夕陽を眺めながら散歩をした。
休みの前日にはお酒を飲みながら映画を見て夜更かしをした。
次の日は昼前までゆっくり寝て、庭の草むしりをして2人で選んだ球根を植えた。
彼の隣は居心地が良かった。
いつも求めていた"何か"を満たしてくれた。

1週間が経ち、もう少し一緒にいたいと言った私を彼は断ることはなかった。
そして変わらず次の一週間も丁寧に丁寧に毎日を過ごした。
一緒に起きて、ご飯を食べて、仕事で疲れた彼の肩をマッサージしたりお昼寝したり。
庭に植えた花が芽を出すのを待ちきれず、花瓶に花をさして飾った日には2人で記念撮影をした。
たまに私が別の用事で遅くなった日には、大好物のカレーを作って待っててくれた。
全て包み込むような大きすぎる彼の優しさは、人間を究極まで甘やかす彼の懐の広さは、まるで母親のようだった。

私は彼を周りに"2番目のお母さん"と紹介した。
その度に彼氏じゃないの?と聞き返されたが彼氏ではない。
セックスもしなければドキドキすることもない。
彼は私たちを"友達以上、家族未満"と表した。
けれども"≒家族"と思えるぐらいに私と彼との間には、他とは違う強い絆が生まれていた。

早起きした朝、彼とあったかいお茶を飲んでいる、なんでもない瞬間がなにより幸せ

時間はあっという間に過ぎ、どこかで区切りをつけなければと思っていた私は、1ヶ月ちょうどで家に帰ることを決意した。
前日の夜も私の大好きなカレーがテーブルに並んだ。
最後の夜だからといつもより少し大きく切ったお肉を頬張りながら、どこに行ったとか誰に会ったとかひと月の思い出を振り返った後、彼は尋ねた。
「何をしている時が1番幸せだった?」
答えは簡単だった。
「早起きした朝、あったかいお茶を飲んでいる瞬間」
「意外だね、そんなことが1番だなんて」
彼は眉毛を上げながら少し驚いたように答えた。
確かに大きなことではないのかもしれない。
どこに行ったとか何か贅沢をしたとか、そんなことではないけれど、
少し早く起きることが出来た朝、シューっと音を立てるヤカンを眺める時、急須から広がる優しい匂いを感じる時、そして何よりシーンっとした部屋で熱いお茶をフーフーと覚ましながらゆっくりゆっくり飲む瞬間が幸せだった。
手には湯呑みから伝わる温かさ、顔を上げれば温かい彼の笑顔。
ため息が出ちゃいそうなぐらいに幸せだと叫ぶ自分を、もう1人の自分が"うんうん"と笑顔で見つめている。
そんな湧き出るような幸せがそこにはあった。

大好きな彼がいる。それだけで、何もない朝が世界で1番幸せな瞬間に変わるのだ。

約束の日は過ぎ、私は家に帰った。
時間は経ちお互いにパートナーが出来たが、それでも私と彼の不思議な関係は続いている。
定期的に連絡を取り、ご飯に行く。
そしてたまに、あの日のようにお茶を飲んでは、
「なんかいいね」と、2人フフッと笑う。