「まきや。元気でやっとるか?」私を呼ぶガラガラ声。ぱんぱんに腫れ上がり、シワだらけでガサガサした手の甲。フクロウの形の大きな湯飲み茶碗から香る緑茶の匂い。夜になると青い花が描かれた小さなグラスから香る日本酒の匂いに変わる。
年末、紅白歌合戦を見ながら(私の田舎ではおせちは31日に食べる。)「おせちには全てに意味があるんだに。だもんで、全部食べんといかんのだでな。」毎年のお決まりのセリフが聞こえてくる。23年間、聞き続けたせいか、一緒にいなくても聞こえてくる。今年はコロナウィルスの影響で実家に帰らず、一人暮らしのマンションで年越し。あ、実家に帰ってもこのセリフは聞けないんだ…。もう4年もこのセリフは聞いていないのに12月31日になると紅白歌合戦と共に聞こえてくる。
初孫の私は祖父に甘やかされ、ワガママな自己中娘に育った
祖父にとって私は初孫。相当可愛かったようで、私は甘やかされて育った。幼いころから、祖母や父母など周りの大人には厳しい祖父なのに、私にだけは優しかった。何でも私のワガママを聞いてしまう祖父母の元で育った私は、保育園にいく頃には、泣けば周りが何でもしてくれると思い込む自己中娘になっていた。それを父母は面白く思っていないことは幼いながらに感じていた。
私が大学生になる頃には、最強だと思っていた祖父は体調を崩して入退院を繰り返すようになり、老人介護施設に入った。大学の長期休暇で帰省をするたびに小さくなっていく祖父。「まきや。元気でやっとるか?」ボソボソ声。「目から汗が出る。拭いてくれ。」相変わらず周りの大人には厳しい。「元気で頑張ってやれよ!」別れる時のお決まりのセリフ。
祖父と最後に会った病室。穏やかな空気に包まれて私は安心していた
ある時、私は祖父と最後に会った病室の椅子に座っていた。隣のベッドには祖父が寝ている。「みんなまだかな?何しとるんだら?早く来ないかな…」祖父からの返事がなくても声をかけ続ける私。私の心は落ち着いていた。焦る訳でもなく、穏やかな気持ち。幸せな淡くて薄い黄色の空気に包まれていた。ずっとこのまま2人の時間が続いてほしいと思った瞬間に目が覚めた。祖父が旅立つことは何となく感じ取った。ただ、とても幸せな時間だったため、私の心は安心をしていた。
翌日の仕事中、祖父が亡くなったと連絡が入った。すぐに実家に帰ると、まだほんのり温かい祖父が寝ていた。本当に旅立ったんだね、おじいちゃん。
祖父が亡くなった夜に訪れた、私を呼ぶガラガラ声と花畑の不思議な体験
祖父が亡くなった夜、「まきや」。私を呼ぶガラガラ声。寝たきりだった祖父が立っていた。「おじいちゃん。何しとるの?」私はびっくりする訳でもなく、いつもの様に声をかけた。今思えばなぜ冷静に声を掛けられたのだろう。「今なぁ、おばあちゃんと、お父さんとお母さんの顔を見てきたんなぁ。みんなの顔を見てきて、最後にまきの顔を見に来た。まき、みんなの事を頼むな。まきが一番しっかりしとるで。」「うん。わかった。」「じゃあな。元気で頑張ってやれよ!」
その瞬間、辺りは黄色とピンクのお花畑に変わった。どこまでもお花の黄色とピンク色、葉っぱの黄緑色が続いていた。既に祖父の姿が遠くに見えた。「おじいちゃん!ありがとう!」すぐに大きな声で叫べば届くと思ったが、なんとなく、もう声を掛けてはいけないと感じ取った。
祖父がいなくなった後も、日常で大切な人を感じることが出来る
「あなたがまきちゃん?今は名古屋に住んどるんだら?」「おじいちゃん、いつも孫がってあなたの話をしてたわよ」お葬式では、遠い親戚や初めて会う近所の方、祖父の友達の何人もから声をかけられた。どうやら祖父はいろんな所で私の自慢をしていたようだった。
今はもうおじいちゃんに会う事は出来ない。しかし、私を呼ぶ声、ふっくらした手、お決まりのセリフを感じる事はできる。もしかしたら、この不思議な体験は、おじいちゃんの魂を感じることが出来た私にだけに起きた出来事なのかもしれない。おじいちゃんがいなくなった後も祖父を感じる事ができる。
「感性」というとどのような物なのかよくわからないが、会えなくなっても日々の日常で大切な人を感じる事ができる。これが私の感性。