小さい頃から「努力」という言葉が好きでした。
不器用な私は何をやろうとしても、最初はうまくいかず、努力しないとできないタイプ。妹は真反対だったので、習い事も勉強も気づいたら、追い越されていました。だから、「私は努力しないといけない」と思いながら、生きてきました。でも、なぜ、努力という言葉を知り、ここまでずっと好きだったんだろう。
その理由が小学5年生の時の担任の先生から頂いたお手紙にありました。私はこの先生が大好きでした。授業もわかりやすくて、いつも笑顔で、とてもハッピーな先生。何をするのにも楽しんでいて、時には厳しく叱ってくれる、人間らしい女性でした。先生の事を思い出すと、心が温かくなります。
「夢は見るものではなく、叶うものでもない。叶えるものだ」
小学5年生が修了し、春休みのある日。新聞を見ると、先生の異動を知りました。数日後、先生からお手紙が届き、私は泣きながら読みました。相田みつをさんの「道」という詩が添えてあり、「夢は見るものではなく、叶うものでもない。叶えるものだ。叶える為に先生も努力するよ」と。何度も何度も読んだ記憶があります。当時、夢は無かったものの先生の言葉に励まされました。
小学校を卒業し、数日後に再びハガキが届きました。ありがたいことに先生にとっても思い入れの強いクラスだったのだと思います。「努力するものは希望を語り 怠けるものは不満を語る」と書かれていました。
先生のおかげで「努力」という言葉の大切さ、素晴らしさを学び、私の骨格の一つになりました。この言葉を胸に中学へ入学しました。
中学、高校共に吹奏楽に励み、それなりのコンクールにも出ました。高校入学後、自主練の為に朝は一番早く学校へ行き、夜は一番遅く帰る生活が始まりました。その甲斐あってか、高校1年生の時には先輩を差し置いて、コンクールメンバーに選ばれました。努力が実った結果。それから、ますます努力という言葉が好きになりました。
努力って難しい。でも、私はできる限りの努力を続けて生きてきた
でも、努力すればするほど、体調が悪くなるような子でした。特に人間関係。高校生の私は誰とでも頑張れば仲良くなれると信じていました。
同じ楽器を担当していた友人がある日を境に心を病んでしまいました。心配になり、たびたび連絡を取り、話を聞いていました。最初は穏やかに話してくれた。でも、徐々に攻撃的になっていった。私はもちろんつらかったけど、それ以上に尊敬する友人が穏やかになってほしい、元気になってほしいと願いながら関わりました。気づいたら、自分の体や心は不調になり、私もついに不登校になってしまいました。
努力する事って難しいんだな。努力し続ける事、努力の仕方、世の中にはどうにもならない事もある。そうわかっていても、私はできる限りの努力をし続けました。そうやって生きてきました。
毎日100%の力だと疲れてしまう。だから、心だけでも70%の力で
私が彼に出会ったのは数年前。現在、婚約者の彼は「70%の力で仕事をしようと心掛けている」と言い、「え?この人何言っているんだろう?」と不思議に思いました。もちろん、仕事を適当にやるという事ではありません。ただ、毎日100%の力を出すと、疲れてしまう。だから、心だけでも70%の力で、ちょっと余力を残す。仕事は学校とは異なり、卒業がないから、細く長く続けるために大切な事なんだよ。と言われました。
大人になっても人間って難しいですよね。しんどくて、辛くて、悩んでいる時、彼に「もう頑張らなくていいよ。俺の前では無理して笑わなくていいよ」と言われて泣きました。この言葉に救われた。今まで背伸びして頑張っていた自分に言われているような気もした。
努力し続ける事は大切な事。でも、その仕方を間違えると倒れてしまう。努力するけど、無理して頑張り続ける事はやめました。バランスよく自分らしく生きていきます。