初めて私が「変な子」であると自覚させられたのは、小学校2年生の頃。
私をいじめてきた子が、先生を交えての仲直りの時に「お母さんが『(私は)変な子だから関わらないほうがいい』って」と言ってきた。
23歳になった今でも覚えているので、相当ショックだったのだろう。
それ以降、「変な子」というふうに見られていることを察知する能力がついた。習い事の発表会の準備でお母さんたちが集まっている時に、私に関するが聞こえてきた。私の母は、ママ友たちに「大変ね」と言われていた。母は若かったこともあり、終始にこやかで言い返すこともしなかった。私は子供ながら、居心地の悪さを感じていた。
20歳の時に付き合っていた彼にも忘れられない一言を言われた。
「うちの彼女『そういう子』だから」
このときは、SNSで繋がっていた彼の友人のお誕生日の投稿に対して「おめでとう」とメッセージを送った。その友人とは顔見知り程度で直接話したことがなかったため、「うちの彼女『そういう子』だから」とフォローを入れたらしい。私は純粋にお祝いしたいだけなのに、それだけで「そういう子」って区別されるんだ。結局、その彼とはお別れした。
「そういうところ、好きやわ」個性を認めてくれた親友の言葉
このように、私は「変な子」「そういう子」と言った言葉で「普通」から除外されてきた。
だから、少しで独創的なことを言ってしまったら反省するようになった。変なことを口走らないように、聞き役に回ることに徹した。
そんな私を救ってくれたのが、大学時代からの親友だ。
私の21歳の誕生日、親友がお祝いしてくれたカフェで私はいつになくおしゃべりだった。例によって「少し喋りすぎたかなぁ」と心の中で反省していた私に、「(私の)そういう(独創的な)ところ、好きやわ」と言ってくれた。
親友はは私を「普通」から除外しない。それだけでなく、私の個性を認めてくれている。肯定されているようで、嬉しかった。
この日は、本当に沢山の方からメッセージを頂いた。私が「変な子」でも、こんなに親しくしてくれる人がいるんだと気付かされた。
ふと、カフェでの「そういうところ、好きやわ」という言葉が思い出された。
そして、私は気付いた。親友だけではなくメッセージをくれる先輩、友達もきっと私のことを「変な子」だとは思っていない。
私の「個性」を「長所」と思ってくれているから親しくしてくれているんだ。
私はこれからも人を区別するようなことは、しない
思い返せば、私は「変な子」と言われてきたけど「子供」として両親から愛され、「友達」として多くの子と遊び、「後輩」として先輩方に可愛がられてきた。
だから、「変な子」と言うのは、仲良くもない人が一方的に私を区別するために使った言葉にすぎない。
「変な子」と言われ続けてきた、その言葉の呪縛から解かれた気がした。
23歳になった今、私の周りには尊敬できる人や大好きな人が沢山いる。
その中に、私のことを「普通」から除外した人は、いない。
きっと、価値観の合わない人だったわけで、自然と離れていったのだろう。
私の人生に、人を区別するような友人は、いらない。
そして、私はこれからも人を区別するようなことは、しない。