日本という国は、容姿いじりが横行していると思う。これだけ、多様性を認めよう、どんな人も美しいんだよ、みんな自尊心を高めよう!そんなポジティブな言葉もあるけれど。
「らいちゃんって、顔は日本人だよね(笑)」
ほとんどの日本人はきっと、容姿をいじられてきている。私だけじゃない。些細な一言を一生背負う人はたくさんいるだろう。

私は周りの言葉で傷ついたこともあるけれど、私の発した言葉で誰かを傷つけたこともある。だから、被害者面をすることはない。みんな子どもだったんだ。だけど、それで何でも許されることはない。

友人がいい意味で、言ってないとわかればわかるほど傷ついた

自分が、自分や誰かを許せることはできても、誰かから自分を許されるかどうかは未知。
私だって男の子に向かって「男やのにチビやな(笑)」などと言ったことがある。今考えれば、よくない発言だったと思う。当時はまるで「みんなもそう思ってるから、言っても大丈夫」そう平気で思ってたけれど。最近話題にあがる、ジェンダー差別にあたる発言だ「女なのに」「男なのに」という内容は。
容姿いじりをする人はだいたい「みんなそう思ってるから、代表してツッコんでやってる」そう思っているのかもしれない。
だから、私の容姿をみて「茶髪で色白なのに、顔を日本人だよね(笑)」と揶揄した友人たちも、深く私を傷つけようとしたわけじゃない。きっと、面白がってからかっただけ。
それでも、私は「顔は日本人なのにね(笑)」と笑われる度に、傷ついた。いい意味で、言ってないとわかればわかるほど、心に染みる。灰色に、黒色に。

目につく広告のモデルが白人ばかりだったり、日本人離れした容姿の人で溢れる日本。かわいい、綺麗の基準は外国人(白人)みたいな容姿。若い人ほど、外国人に憧れが強いように思える。
もし、かわいい、綺麗の基準が日本人らしい容姿ならば「顔は日本だよね(笑)」という言葉、その時の友人の表情や雰囲気は良いのもだったと思うし、笑われてない。
あるいは、私の顔が可愛かったら「笑」はなかったかもしれない。そう、容姿が綺麗だったら、かわいいなら、そもそも容姿で笑われない。ブスだから、笑われるのだ。

お金で変われるのに。なぜ、その努力をしない?と言われているみたい

いつからか、自分の顔が嫌いになった。整形も考えたこともある。
元彼から「笑った顔がぶっさいくだから、お前笑うな」と言われたこともある。
今の日本は「ブスなら整形すればいいじゃん」そんな風潮がある。整形がポピュラーになった影響は、いいことばかりじゃない。
お金さえあれば、変われるのに。なぜ、その努力をしない?そう言われているみたいだ。
私はずっと「笑われるような顔」だと思っていた。今も自信に溢れているわけじゃないけれど、求める異性像について友人と会話しているときに、モノは考えようだと気が楽になったことがある。

どんな容姿が綺麗か、カワイイか、好みか、そんな感性は人それぞれ

私は、自分が望んでもないのに、病気になって、ふつうの生活ができなくなって40㎏ほど太ったことがある。それに、肌がボロボロになったり、ストレスで白髪まみれにもなったことがある。
実体験で「見た目は変わりゆくもの」を知って以来、友人から「どんな人がタイプ?」と聞かれても容姿について思うことがなくなった。
ある程度、清潔感があればいい。それぐらいしか容姿について思うことがない。
私はずっと、自分の容姿で悩んできたけれど、人をみるとき、容姿に固執している大人のほうが少ない。それに、どんな容姿が綺麗か、カワイイか、好みか、そんな感性は人それぞれ。
「みんなそう思っている」なんて現象は感性次第の領域では起こらないのだ。

私を変えた一言は「顔は日本人なのにね」と笑った友人の言葉だった。ずっと、心のどこかで苦しんでいたけれど、今は苦しくない。
もし、誰かの放った言葉で容姿に対して悩む人がいるなら、もっと広い目で世界をみてほしいと思う。