宇多田ヒカルが歌っているように、全ての終わりに愛はあるのだろうか。
私はそうは思えない。
全ての終わりに愛などない。
終わりを迎えた関係にあるのは哀愁と心残りだけ。
そう思ってしまうほど、燃え上がった関係が冷え、醒め、枯れていく工程は儚い。
ただ1人だけと決め、あなたと将来を歩みたいとまで願った相手と別々の道を歩んでいく。
幾度となんでこんなことにと思ったことか。
私たちは別れを経験しても生きていく。
それを糧にするか枷にするかは別にして。

この人と家庭を築いて、幸せに暮らすと信じて疑わなかった

私は別れを経験した。
2年後に結婚すると誓った相手とだ。
なぜ2年後かというとアパートの契約が2年更新でその更新のタイミングで上京したいとのことだった。それでちょうどよく結婚しようと、ロマンチックの欠けらも無い理由だったが私は嬉しかった。私はもう孤独に喘がなくていいんだ。私を必要とする人間なんて一人もいないと悲しむ夜を過ごさなくてもいい。
私は安心した。
この人は私を必要としてくれる。この人についていけさえすれば私は地獄から解放される。この人と家庭を築いて子どもをこさえて幸せに暮らすと信じて疑わなかった。

穏やかな2人。
しかしいつまでも穏やかでは居られなかった。
きっかけは私が7万円ほどの趣味の道具を買ったことだった。
7万円。大人になれば吹いて消えるお金だろう。しかし若い私たちには大金だった。
彼は激しく怒った。
理由はこれから上京しようと言うのになぜ軽率に趣味に7万も使うんだということだった。
私にも言い分がある。
私は創作活動をライフワークとしている。そのライフワークを侵されることは私の命を削られることそのものだった。私たちは今までにないぐらい喧嘩した。私は自分の使命を守るために戦わなければならない。彼は私たちが一緒にいるためという盾を使って結局自分の思い通りにならないことに苛立っているようだった。
私は言った。
「もう、終わりにする?」
「なに」
「たっちゃんが私のせいで悲しんだり怒ったりするの見たくない」
彼は泣いた。
彼が泣くのを初めて見た。
「俺は、すずめちゃんと一緒にいたくて、それだけなんだよ。なんでわかってくれないの」

私たちはそれで幾度もぶつかり合った。大きなものに負けた

私も彼も若くてお金が無くて職もなかった。
私は今楽しいのが大好き。
彼は未来ばっか見てた。
それが決定的に違っていた。
私たちはそれで幾度もぶつかり合うことになる。

「もう終わりにしよう」
そう言いきったのは彼だった。疲れきった顔で彼はそう告げた。
「そっか、そうだよね。私といると疲れるよね。ごめんね。ごめんね」
愛の灯火がふっと消え去った瞬間だった。
私たちは愛し合っていた。一緒にいると楽しかったし、誰より大切な人なんだって信じていた。でも、乗り越えられなかった。私たちの価値観を乗り越えるほどの愛がなかった。
悔しかった。負けたと思った。しょうもないものに負けたと思った。でも大きなものに負けたと思った。

私達は同棲を解消し、友達に戻ろうということになった。
しかし、私が荷物をまとめて出てったきり彼と会うことは無かった。

私と育めなかった愛のゴールに彼はたどり着いた。本当に良かった

数年がたち、私の元に一通のラインが届く。
「結婚しました」
良かったと思った。私と育めなかった愛のひとつのゴールに彼はたどり着いたんだ。
良かった。本当に良かった。
私は泣いた。どうして泣いてるのかわからなかった。本当は嫉妬してるんだろうか相手の女の人に。でも良かったという気持ちは本心だ。

私たちの別れは愛だったのだろうか。
愛が無くなったから別れたのではなく愛があったから、互いを思い会う気持ちがあったから、別れたのだろうか。
分からない。
それでも私は生きていく。
残された愛を抱えて。