私を変えたひとことは、私が友達と二人でいるときに言われた友達に対する「かわいい」のひとことである。
自分の容姿にコンプレックスがなく、無関心だった
私は現在大学2年生で、都内の女子大に通っている。中学・高校時代は共学の学校に通っており、今振り返ると、中学生の頃の自分と高校生の自分はかなり違っていた。何が違っていたかと言うと、おしゃれについての関心、ひいては自分の容姿への関心の度合いである。
中学生の頃のことを思いだすと恥ずかしいくらいおしゃれに興味が無く、良い意味でも悪い意味でも「容姿」を気にしていなかった。それは自分の容姿に対しては勿論のこと人の容姿に対してもそうで、例えば友人が「あの子はかわいい」という話をしてきて初めてその人がかわいいと認識するレベルであり、自分の容姿に関してはコンプレックスもなければ特別かわいいとも思っておらず、無関心だったと言って良いだろう。
なぜそうだったのかと言えば、母親はかわいいかわいいと言って私を育てていたことや、他人から言及されるほど容姿に特徴が無かったために容姿へのコンプレックス、あるいは褒められることによる容姿へのアイデンティティを抱きにくかったこと、そしてどこか着飾ることへの気恥ずかしさがあったことが原因だと考えられる。
しかし、周りの女子が前髪のセットを気にしている中、私は髪の毛等にあまり気を遣っていなかったため、当時のクラスメイト等から確実にダサい女という認識はされていたと言える。中学時代の私はそんな感じで、良い意味でも悪い意味でも容姿にとらわれない生活を送っていた。
友達だけが言われる「かわいい」が容姿のジャッジだった
そんな私が変わったのは、高校生の頃である。高校一年生の春、今でも仲良くしている入学式の日に友達になった子はおしゃれに関心のある、かわいい子であった。彼女とは性格が合い、部活動見学を重ねた末に同じ部活に入ることになったのだが、その部活の初日に言われた言葉によって私は変わった。
それは、私と一緒にいるその子に対する「かわいい」のひとことである。
その時私は初めて、容姿ジャッジをまともに受けたように感じた。今にして思えば見た目に気を遣っていない私が見知らぬ人から彼女と同じように容姿を褒められるわけはないのだが、その頃から、彼女だけが容姿を褒められる度にモヤモヤした気持ちが生まれ、漠然と自分の容姿を気にするようになっていった。
このひとことによって容姿を気にするようになった私は、偶然にもその時女子アイドルグループにはまり、そのアイドルたちが撮ったメイクの動画などを見ておしゃれをするようになった。そのことで、中学時代とは真逆と言っていいほど容姿を気にするようになり、今思えば暴走していたのだが、おしゃれをしない友人におしゃれを押し付けるようにもなっていた。
このことは反省に値する。だが、それまでにおしゃれをしてきた人と私では経験の差があり、おしゃれの話をよくするキャラでありながら特におしゃれではなかったため、当時の私が周りからどう見られていたかを思うと非常に怖い。
容姿ジャッジは人生を変える
ともあれ、高校時代のその一言によって容姿を気にするようになったことは、コンプレックスが植え付けられる悪いことだったと捉えることもできるが、個人的には良かったと思っている。
なぜなら、それまでしたことのなかったおしゃれは純粋に楽しかったからだ。それに、私はそのことで化粧品が好きになり、今では化粧品メーカーに興味を持っている。だから、何気なく聞いたあのひとことは、もしかしたら私の人生をガラリと変えてしまったのかもしれない。
しかし同時に、この経験を通して、何気ない容姿ジャッジ(厳密にいえば私がされたわけではないのだが)が人生を変えてしまう要因であるということは、皆で考えていかなければいけないテーマだとも感じている。
私はおしゃれをするようになって、自分に自信が持てるようにもなったが、例えばメイクなどをしていない人を見るとメイクをするべきだと自然に考えるようになってしまった。
俗にいうルッキズムである。
装飾は楽しいが、自分の中のルッキズムとどう向き合うかは、今後のテーマになるだろう。